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第25話/ロサンゼルス

主な話者:うさぎ ロサンゼルス、天使の街。それは、軍用機の街 この街に展開したレイシズム(人種主義) 偽装だらけの「知」 ✦ 明るい日差し、光る海…そんな「イメージ」の街、ロサンゼルス。 たくさんの映画、テレビシリーズがつくられる、映像の街。 そんな絵とは違って、この街は、軍用機生産の都だった。そのことを、多くの人は知らない。 軍需産業と言えば、ここ水の街から近い、名古屋も主要な軍需生産地だったと聞く。だから空爆も激しかったそう。 そういう話はあまり聞かない。 刑事コロンボ、レイモンド・チャンドラーさんも、LAに縁があるそうだ。 「偽装」、イメージづくり。灰色が思わせたい通りに、人びとは思わされている。 もちろんロサンゼルスだけじゃない。灰色の偽装は、あらゆる場所にある。 思いもつかない身近なところにも。 そのことに気づいていたいと思う。 『うさぎ!』を通して気づいた、頭の中の「絵」の存在。いつの間にか頭の中に滑り込んでくる、偽りの知。 なぜ知っているのか、知らされているのか。立ち止まって考えたい。 ✦ 目次に戻る

第24話/原発

主な話者:きらら。雑誌「毎日の環境学」に書いた記事 原爆が投下されて始まったアトミック・エイジ(原子力の時代) サイオプ(心理学的作戦)としての、原子力の平和利用/原発 プライス=アンダーソン法(PA法)が開いた、原発推進の道 原発問題は軍事問題のように思える。きららは、そう結論づけます。 ✦ 衝撃の第24話。発表当時から反響がすごかったと聞きます。 2012年の夏(大震災から一年四ヵ月後)にも、この第24話は 著者の公式サイト「ひふみよ」で無料公開 され、先立って公開された「 金曜の東京 」というデモに関する文章とともに、話題を呼びました。 第24話は、大震災が起きて間もなく執筆されたようです(『子どもと昔話』の2011年夏号掲載)。著者の思いが響いてきます。 これを読んで、それこそ「イメージ」でしかなかった原発についてもっと知りたいと思い、いくつか関連する本を読んでみたり、ニュースに目を向けたりし始めることができました。 それまでは、目を背けていました。苦しくて、考えたくなくて。 でも無知は何も生まないし、何もしないことこそが、実は何かに加担することになっているのかもしれない、と『うさぎ!』を読んで考えが変わったのでした。 そして見えてきたのは、とある「専門家」さんたちの、敬意に値しない言動。それから、国の、無言の主張と嘘。いろんな人の、人びとの、過剰な煽り。怖がらせて脅して言うことを聞かせようとする、多方向からの作戦。 今まで「そんなことあるわけないよ」と思っていた事々だった。 放射線の影響に閾値はないとして、厳密な放射線管理を主張する専門家もいれば、少量の放射線は健康に役立つとして過剰な反応をいさめる人も。その産業に関わる死者数から考えて、原子力発電は他の方法よりはるかに安全だと主張する専門家もいる。 ただ、今の私に一番響いてきたのは、ある福島の人がインタビューに答えて「一時帰宅のとき、家の周りで地を這う生き物、ねずみや虫や、そういう生き物たちがみんな死んでいた」と言っていたこと。それから、原子力で電気を作ったあとの廃棄物が無害化するまで10万年かかるということ。このふたつで、ほぼ、自分の中では答えが出ている。 国のなりふりを見ていても、原子力の問題はエネルギーの問題だけではないこと

第23話/エジプト革命

主な話者:トゥラルパン エジプト革命。トゥラルパンは、革命の前線で起こった何千人対何千人の生喧嘩の生中継を見ていました。 絵本の国では絶対に放送されない映像。 なぜか知っていること、なぜかまったく知らない、知らされないこと。その仕組み。 灰色は人びとの記憶を塗り替える。偽の知で埋め尽くす。 ✦ 今日のラジオニュース(NHK第一):ベネズエラの大統領選挙が、近日行われる。チャベス大統領は貧困層に対して厚い支援政策を行うなど、一部からは「ばらまき」の政策だと批判されていて、インフレの一因をつくったとされ、他候補への支持が高まっている。もし左派である現大統領の交代が決まれば、ロシアなどの国家関係への大きな影響が出ると予想される。 ロイターのネットニュース:反米左派のチャベス大統領の交代の影響は国内に留まらない。エクアドルなどの反米諸国への石油資源の融通などが停止されれば、中南米の各反米諸国の力も弱まるだろう。いくつかの調査では接戦、または対抗候補の支持が高まっているという結果。 MSNのネットニュース:反米の盟主、ピンチ! 『うさぎ!』を読むまでベネズエラが特筆されるべき国であることを知らなかった。 最近の新聞の国際面はシリアの内戦に多くの紙面が割かれていると思う。 ただ、今日は偶然、上にあるラジオニュースが耳に飛び込んできた。 “絵本の国では、人びとの注意力は鉄拳で握りしめられていて、簡単に飽和させられてしまう。お相撲やら何やら、その時々の小さな話題で。” 第23話、60頁 新聞を隅から隅まで読めば、多くのことが知れると思っていた。 学校では新聞を読めと教育される。社会人になったら新聞を読んでいないと、お客さんと話が合わない。 新聞社で校閲のバイトをしていたことがあった。 最新のニュースは社内アナウンスか、ロイター他からの電報。電報というのだろうか、記事が機械からべろべろーっと出力されて、それを雑用係が走っていって校閲記者(上司)に渡す。 重要な記事なら紙面が入れ替わる。その日に載せなくても後日載せられるネタは後回しにされる。記事の優先順位は厳密に決まっている。それを管理する、紙面の構成を決める部があり、これは重要ポスト。 記者が書いた記事を読んで、過去記

第22話/もう古いの計画

主な話者:きらら 「うさぎ! 沼の原篇」が出てから「うさぎ!」についてよく質問を受けるきらら、よく聞かれる「もう古いの計画」について語ります。 「もう古いの計画」、プランドオブソレッセンスは大っぴらに言われないが、当たり前の考え方 買ったものをすぐに古いと感じさせ、次の新商品に向かわせる 「もう古いの計画」が引き起こしていること その存在が見えなければ、ぼやけて考えが始まることができない。 ✦ 時限装置が組み込まれている、と日本語では言う。 「○○タイマー」(○○には大手電子機器メーカーの名前が入る)と言って、決まった年月が来ると壊れるように仕組まれていると言う話。 笑い話で出てくる。「パソコンの調子が悪い」「タイマーが起動したんじゃないの?」「まさかー」という感じ。 そういう言葉が生じるほど、「もう古いの」計画は企業にとっても消費者にとっても当たり前のことなのだろう。 『うさぎ!』を読んでから、「従来品より消費電力を○%削減!」などの広告を見ると、「なんで開発段階からやらなかったんですか」と思うときがある。 でも読まなかったら気づいていなかったと思う。「○%削減かあ」としか思わなかったと思う。 小出しにする、壊れやすくする、使えなくする。 うさぎくんが話していた革靴のことを思い出す。使い捨てることがベースに置かれた生産。 子ども服なんかもそうで、ウエストのゴムを取り替えようとするとウエストのゴムごと縫いつけられていて取り替えられないとか、ゴムの替え口がないとか。 直すより買ったほうが安いし早いという状況。 確かに服に関して、私も以前はそう思っていた。子どもができるまでは。 子どもができたら、自分の服を選ぶ時間がなくなった。女の人は服を選ぶのにものすごく時間がかかる。子どもはその長い時間につきあえない。 だからネットで服を選ぶようになったんだけど、これまたすごく時間がかかる。サイズはどうか、色はどうか、在庫はあるか、お値段は、割り引きは…と延々時間がかかる。 フリルがついているといくら、レースがついているといくら、すきなブランドのものだといくら…と、オプションがずらっと並ぶ。選べない。 今や作ったほうが早いと思うようになった。自分で縫ったほうが早いし、ほしい形にできあがる。

第21話/メキシコ

主な話者:うさぎ 友だちの結婚式に参列するため、うさぎたちはメキシコのハラパ市に来ていました。 基地帝国と相互に作用し合う国、未来世紀メキシコ。 車椅子の人がすいすいと働く空港 社会権を認めた初めての憲法、メキシコの1917憲法 社会、政治、文化への高い意識 暴力と共存し、生き抜くために知性を必要とする場所。 ✦ 第21話は、作品集「我ら、時」の中に綴じられた『うさぎ! 二〇一〇―二〇一一』という本の一番初めに出てくるお話です。 沼の原篇が幕を閉じ、新しく出発した回にも当たります。 メキシコに焦点が当てられ、とても読みやすい回。 私は『うさぎ!』の第1話をネットで読んでいて、その次に出会ったのがこの第21話でした。 話者がうさぎくんとつづられているにも関わらず、その第一人称「僕」を著者のことと取り違えて読み進めていました。 さて、メキシコ。 基地帝国の隣で力強く生き抜く国。知りませんでした。 銅山の国もそうですが、刀を突きつけられた国は賢くならざるをえないんですね。 じゃあどうして、体内に爆弾を仕込まれている絵本の国はそうならないのだろう? 危険を感じないように酔わされている。人びとが気づかないよう、周到に環境が用意されている。 基地の移転やオスプレイ配備といった木における木の葉の話題は新聞に上るのだけど、肝心な幹の部分や根の部分には焦点が当てられないように思う。 インディアン文化のきらめきが日常のそこかしこできらめく国。 そこで開かれた結婚式の光景が、まぶしい。友人代表が新郎新婦に贈った詩が美しいです。 ✦ 目次に戻る

第19話、第20話/小沢健二に聞く

(特別篇) 第19話と第20話で、ひふみよドットネットに掲載された、 小沢健二に聞く を再録。 2010年のひふみよツアーを前に、小沢健二さんにインタビューする人としてうさぎくんが手を貸すことになりました。それに当たり、うさぎときららが話し合っています。 紙というインターフェイス コンピューター氾濫の中でできなくなっていること 『うさぎ!』初期の難解さの、意味 小沢健二さんの今、『うさぎ!』読者の今 ✦ 小沢健二に聞く ひふみよツアーのメンバー紹介と、曲・音の紹介 イメージ管理と実体(タイガーウッズさん) 各国でかかる大衆音楽 日本の部品・道具の精密さ 法の外の場所で ✦ 15年ぶりくらいに読んだ小沢健二さんの文章が、「小沢健二に聞く」でした。 一年か二年前、久しぶりに「小沢健二」で検索してたどりついた文章。 「エコ活動に没頭している」という記事を読んでいたし、『うさぎ!』と併走していなかったので、必死に読んだけどほとんど意味が分からなかった。 全然意味が分かっていなかった、ということが、今再読してみて初めて分かった。 『ドゥワッチャライク』は併走で読んでいて、切り抜いてボロボロになったのが今もプラスチックのファイルに入っているのだけど、その感じとはかけ離れた重い手ごたえだった。分からないながらも。 ぜひ『うさぎ!』三巻の後に再読してみてください。   うさぎさんのことが少し分かってきて読むと、 もっとおもしろいです。 ひふみよツアーの録音から香る、新しい匂いに気づく。 日本の機械。日頃、ミシンを使うことが多いのですが、日本のミシンもすばらしいと思う。 二万円くらいで十年保証、何十着つくってもびくともしない機械が手に入る。 日本の手芸界のアフターサービスはかなり頼れます。布専門店の世話の良さよ。 それも、主に「おばさん」たちがつないできたからなのかもしれない。 ✦ 目次に戻る

第18話/戦いの一局面が、終わる

主な話者:きらら 「私は今死ぬ。けれど後で、私の意思を継ぐ何百万人がやってくるだろう」 636頁 銅山の国で語り継がれる、カタリの言葉。 今、その戦いの新しい局面にひとつの結論が示されようとしていました。 「白人」という言葉を避けようとして違う言葉にすりかえられること 黒人音楽の底流にある、白人の視線を意識したメッセージ 「豊かな」国の様子。その、まったくゆたかではない様子 うさぎたちは、戦いの新しい段階を見届け、銅山の国を後にします。 お話は、人から人へと伝えられて。文字として書かれないまま、真実は人から人へと届けられていきます。 ✦ 参考文献として挙げられている“ハワードズィンさんの『ア・ピープルズ・ヒストリー・オブ・ユナイテッド・ステイツ』”は日本語翻訳版もあり(ハワード・ジン『民衆のアメリカ史』上、下巻、明石書店、2005年)。 ✦ 第16話から第18話の、沼の原篇のクライマックスは、ぜひ続けて読みたい。 第18話、先に読んでいたのですが、まとめて読むと印象がまったく違う。おもしろいです。こんなに違うなんて。 調律していく感じというのか。 この音、もっと高いのか、低いのか。高くしてみる。ちょっと高すぎる。低くする。今度はちょっと低い。もう少し高くしてみる。あれ?もしかしてもっと上? と、少しずつ響きを変えていく感じ。 物語を読むうちに、少しずつ、ゆらゆらと変わっていくのだと思う。 感じ方が。考え方が。 光景が、全巻読む前よりも、くっきりと想像できるようになる。 平和市の周りをぐるりと囲む、インディオたちの黒い影。 道路封鎖で血が止まった市場。封鎖が解かれてどっと流れ込む新鮮な血(物資)。 そこにいた著者の眼差し。空の青さ。 なぜこのお話が日本語で書かれているのかも想像できる。 まるで仲間に、友人たちに、話すように。書き言葉でなく、会話をして話を手渡すように。 そのための形なんじゃないか。 どこにあるかもよく分からなかった遠い国での戦いが、自分の先輩たちの戦いに思えてくる。同じ時を生きる、先達。 考えていこうと思う。今からのこと。今までのことにも目を向けて。 ✦ 目次に戻る

第17話/「○○との戦い」

主な話者:トゥラルパン 権力者の命令を先読みして行動する組織 世論調査(アンケート)、問う団体、問う方法、問う場所によって結果は異なる 「○○との戦い」麻薬組織、テロ、共産主義…名目を次々に変え戦闘は続く 「バランスのとれた見方」 沼の原では、水道の民営化に反対する運動のさなかに、一人の少年が警察に撃たれて死に、広場で通夜が行われることになっていました。 うさぎたちも広場へ出向きます。 そこで見た光景。 人びとが、それぞれの生活と仕事を基盤に、外からの圧力への怒りを身の内にたぎらせていました。 ✦ 「○○との戦い」。よく聞く言葉。この話がとても役に立った。確かによく見ると、名前は違えどどれも各地と「基地帝国との戦い」だ。 ある一国が文句なしに一番強い世界。 昔、父が「戦争がやりたくって仕方ないんだよなあ、あの国は。だから難癖つけて」と新聞を読みながら毒づいていたのを思い出した。田舎の大工、鋭い。 命をかけて戦う…今の私たちにその覚悟が持てるだろうか。持てるわけない、無理無理、と思わされてはいないか。 著者による「 金曜の東京 」という文章に書かれていたが、昔は絵本の国の人びとは荒っぽかったように思う。町の親父たちは強くて怖かったし。 それがうまい具合に骨抜きにされているんだろうな。 何をしでかすか分からない感じ。もしかしたらそれが絵本の国の人びとの特長のひとつなのかも、と『うさぎ!』を読んで思う。 めちゃくちゃな勢い、とか。何が何でも、とか。 アンケートの話も出てくる。 アンケート、特に市場調査によくつきあう私。答えていると、笑っちゃうような設問があったりする。 「我が社の魅力はどこですか」「この製品のイメージは次のうちどれですか。洗練、知的、若々しい、ポップな、優しい、ユーモアのある」「この商品、知っていますか、欲しいと思いますか、なぜ欲しくないのですか」「この情報、どこで知りましたか」「魅力に感じますか、それとも魅力に感じませんか、その理由は」「ファッション、スポーツ、映画、ゲーム、あなたの趣味はどれですか」 こういうのを集計して、会議にかけて、決定がなされていくのかー…。 行きたい方向が違うことが明らかになる。 でもこの前、好きな布屋さんのアンケートは答えてて楽しくな

第16話/ホワイトサプレマシー

主な話者:うさぎ 沼の原には遠くから警官が配備され、ものものしさが増していた。広場ではおばあさんが景気づけにダイナマイトを投げています。 ホワイトサプレマシー(白人優越主義)の話。 変換キーを押しながら、キーボードと格闘しなくてはならない絵本語入力 白人がお洒落に見えるように標準化されたものさし(化粧、服、インテリア、街の景色) 白人のくにでは、非白人へのいじめがないので楽に生きられる 「使用と慣習」の力で成り立ってきた沼の原の水道。 書き言葉の約束ではなく、話し言葉で編み上げられたゆらゆらと揺れる精密な約束。 その水道の民営化をめぐっての反対行動が、大きく動き出そうとしていました。 ✦ 第16話。ホワイトサプレマシーの話。 この回は、初読にもおすすめ。服装やパソコンの入力のことなど、分かりやすい例で世界中どこにでも見られる大問題の初歩を考えることができる。 白人優越主義のこと。 この言葉、知りませんでした。でもこれほど大きな問題になぜ今まで気づけなかったんだろう、と不思議に思うような衝撃的な言葉。 ファッションの流行も。(某白人都市のファッションショーで今年の流行色やメーク方針が決められる) 食べ物の流行も。(某都市で大人気!日本初上陸!) 音楽も、映画も。 あらゆる場面に当然のように存在する問題。これに無関係な人なんて、この世にいないと思う。 ので、ぜひお試しを。 なぜ、『うさぎ!』がまず沼の原を題材にしたかも、明らかになる。 沼の原は、灰色と戦う人びとのいる、最前線だから。 著者はその戦いをその目に焼きつけ、『うさぎ!』を書くことを決めたのだろうと思う。書かずにいられなくなったんだろう。 その戦いは、私にとっては『うさぎ!』に描かれなければ知ることもなかった戦いだった。 まだ遅くはない。 日本語入力に苦労する。誤変換される。誤変換された言葉で笑い合う。 今まで感じなかった哀しさを、感じる。 ✦ 備考:校正提案あり ✦ 目次に戻る

第15話/パレスチナ問題

きららは、友だちの住むオルドン国に行った夢を見る。 ガザで始まった殺戮。 友だちのおばあちゃんや親戚が住む町で。 「難しい問題」と片づけられてしまうパレスチナ問題 「ユダヤ人の二千年の悲願」というキャッチフレーズ 「テロリスト」と決められていたマンデラさん 「非暴力」の代名詞のガンディーさん 家も建てられず、十分な物資も病院もなく、壁に囲まれた場所に押し詰められて暮らすガザの人びと。 ✦ 日本はパレスチナを国家として認めていないので、「パレスチナ自治政府」という名称を使う。ハマスは「イスラム原理主義組織」。(参考: 外務省 ) 国連加盟国193のうち、パレスチナを国家と認めているのは126。 『うさぎ!』では国連総会での投票の結果、大多数が「イスラエル国の占領を違法」とする決議に賛成している、と指摘している。 「難しい問題」ととらえられているパレスチナ問題について、第15話は分かりやすい、明瞭な形で語りかけてくる。 村上春樹さんのエルサレム賞受賞時のスピーチ、「壁と卵」と同じ感触だった。 分かりやすく語ってはいけない問題らしく、どのサイトを見に行っても、よく分からなかった。一番しっくり来る話は個人のホームページに載っていた。それと、村上さんの演説。 きららが第9話で言っていた。 “「きらら、『テロ』をなくすには、どうしたらいいと思う? 『貧困』をなくすには、まず、どうしたらいいと思う?」 「『テロ』を作り出すのをやめること。『貧困』を作り出すのをやめること」きららが言います。” 第15話を読んであらためて、その通りだな、と思う。 手元にある新聞にも。 イスラエルはアメリカの「同盟国」。オバマ氏、ロムニー氏、ともに「世界で最強の軍隊」を維持し、「強い米国」路線を主張。(2012年9月28日、中日新聞朝刊) 強い者が物差しになる。強い者の判断が常に「正しい」とされる。 ✦ 目次に戻る

第14話/メディア

主な話者:うさぎ、トゥラルパン 人事 メディア テレビ どこのチャンネルでも同じ映像の国と、同じ映像ではない国(尾長鳥の国) “暴力の匂い”…“絶対に灰色のご機嫌をそこねない放送を。” 沼の原でも、どのチャンネルも同じ映像を映し出していた。トゥラルパンは、“まずーい感じ”に気づいて、今後の展開に目を凝らしています。 ✦ テレビカメラのケーブルを必死の形相で巻き取り、遅れたためにカメラマンにみぞおちを蹴り上げられるアシスタントの描写が出てくる。著者が以前実際に目にしていた光景なんだろうなと思う。 テレビの世界は厳しいと聞く。階級がはっきりとしていて、下積み時代の厳しさは他にないほどだと聞く。 そこで成功を収めれば名声が約束される。 景色を切り取り、声を編集し、加工され、テロップが詰め込まれ、画面の中にもうひとつ画面の窓がつけられ、ばらばらに分解されてからつなぎ合わせて作られる映像。 そこに方向性がないわけがない。 少し前まで、今日のような激しいテロップ(テレビの画面の中につけられる文章、単語)はなかったのに。 画面を見ていると、文字がめまぐるしく押し寄せてくる。それで、右下か右上に小さな窓が出ていて、有名人の表情(その放送を見ての反応を示す)が映し出される。 間違いない方向に視聴者を導くために。必ず「ここでどっと笑わせる」ために。同じように感じさせるために。 あまり見ていない人には、いい番組を見つけ出すことも難しい。 テレビがついているときの子どもたちの釘付けっぷりもすごい。 テレビがついていると、画面に釘付けになり、自由に遊ぶこともできなくなる。ぐったりとソファに横たわって、目をテレビに縛られている。 見ていてこわいくらいだ。 子ども向けの番組でなくてもそうなんだ。CMの音にいちいち反応し、変な言動をする芸人さんを見て異常な笑い声をあげる。 テレビがついていると子どもは普通でなくなる。何もしゃべらなくなり、動かなくなる。 魂を抜かれているみたいだ、と思う。 ✦ 目次に戻る

第13話/善意でめっちゃくちゃ

 ペンデホ・コン・イニシアティーバ(提案を持った莫迦野郎) 「自分はすごいから、運転は任せておけ」 …あとからやってきた外側の人たちが、その土地の人たちに命令しています。 銅山の国にも彼らはやってきました。「水道の効率をよくしてあげましょう。民営化です」 何万もの小さな折り合い(政治)によって組み上げられてきた銅山の国の水を、ぶち壊しに。 絵本の国の人に与えられた「名誉白人」という「称号」 すっきりしない、気まずい、絵本の国の国歌 最新の戦闘機 沼の原の広場で続けられるお祭り。うさぎの友だちでもある弾丸が、舞台に立ち、演説を始めます。 「私たちが、どうにか自分たちの、ほんとにささやかな暮らしの折り合いをつけると、奴らがやってきます」… ✦ 「自分は正しい、自分は賢い、だから自分の言ったとおりにしていれば間違いない」という善意の提案。 それが、いろんなものをめちゃくちゃにしていく… 笑えるけど、笑えない。 それで彼らは、人びとの口を封じるために、テレビやラジオをぱちんとつける。すると、乗客たちは静かになるというのだ。 色んな人が、色んな可能性を思い浮かべて、考えなくちゃいけないのに、と『うさぎ!』は言います。 人びとが、それぞれの生活をしょって、考えて、発言する。 今はその声が無視される。完全になかったことにされる。 面倒くさいこと言うやつは、消去する。うるさいやつのことは、無視する。 無視は、最も効くいじめでもある。 今度の週末には我が町内も街のお祭りに御輿を出すそうで、我が息子たちにもお呼びがかかった。法被を着て、子ども御輿をひく。 鈴やら鐘の音、笛や打楽器の音とともに。 今いない人たちと、今いる人たちとで、つないでいく音楽。 言いたいことを言い、湧き出るとおりに思いたい。 そのとき、『うさぎ!』が知恵をくれる。からくりを見抜く技術を。 ✦ 目次に戻る  

第12話/NPM

風がたどりついたのは銅山の国の骨董屋さん。うさぎたちが行きつけにしていた御店。 風と、虹の風は、街でのあやしい動きについて話をします。 見慣れない警官が他の街からやってきたこと 水道の民営化が動き出した 民営化されると人びとはどう扱われるか?NPM(New Public Management、新しい国民の取り扱い方) 重要な報道は、重要でないが耳目をひく報道にタイミングを合わせて行われること イラク戦争、NPR 道路の封鎖 水道の民営化に反対する国一揆連合と市の代表者による話し合いに、重要な動きがあったようです。うさぎたちは真夜中、話し合いの行われている市役所へ向かいます。 ✦ おばあさんが水の街を行く。 水の街、私の住む街です。 おばあさんは荷物車をひきながら、ゆっくり、ゆっくりと進む。 横断歩道のないところを横切る。歩道ではなく車道をゆく。ゆっくり、ゆっくりと。 友だちが「牛か馬が行くような感じだよね」と笑っていた。自動車はそれを遠巻きによけながら、速度を落として通り過ぎる。不思議とクラクションは鳴らない。 道は誰のもの?市のもの?県のもの? いや、道は私たちのもの。 まだその意識が少し残っている気がする、この街。 民営化といえば、郵政民営化を思い出す。 350兆円の資金を市場に投げ出しなさい、か。 先日その郵便の企業からきた手紙は、「以前と何も変わりません。手続きも何もいりません。安心してください」という内容だった。 以前、新聞の紙上におどっていた「郵政民営化」の言葉は、今見る影もない。 深遠な思想にふけるばかりの、この国。 風は、絵本の国のことを思っている。 可能性のある国、何かを秘めた国。『うさぎ!』は絵本の国(日本)を、鍵を握る国として語る。 世界のあちこちで、著者は絵本の国のことを思ったのだろう。そして、変化したら大きなものへ化けそうな可能性を感じている。 絵本の国に住む私たちが気づけない、可能性に。 ✦ 目次に戻る

第11話/食

銅の山脈の上を吹いていく風。風はどこかに向かっています。風は道すがら、男の子がかまどの火を起こそうとしているところに寄り道をします。 ここはアブラヤラ大陸…ネイティブアメリカン(先住民族)の文化が評価され、同じ土壌を持つメキシコ人は基地帝国ではきつい仕事をしています。 そして、沼の原大学では、人びとが集まってこんな話をしています。 「反基地帝国主義感情」と定義されてしまうこと 基準服としてのスーツ(冷血の国の民族衣装) 軍事産業と経済 ティーナ(他に対案はない)、タータ(何千もの対案) 絵本の国の、詩のように美しい食べ物の提案(『食生活指針』) 食べること 栄養成分教(ヘルシー教) 私たちの想像力と夢は、灰色に翼を縛り上げられて、助けを待っている… ✦ 食べ物、食べることについても詳しく語られる第11回。 特に『食生活指針』の引用が印象に残りました。 お話の前半では、多くの意見が「半基地帝国主義感情」として片づけられてしまうことについて異論を表しています。世界の中の一国が、数百もの基地を世界中に持ち、他の国のすべての軍事予算を合わせてもその一国の軍事予算には敵わないという現状。今の世界は様々な可能性の中の、ひとつの姿でしかない。「こうでない世界はありえる」と、登場人物たちは語ります。 「仕方がないよ、こういう世の中なんだから…」と言った途端に想像力はついえる。それは楽。それ以上考えなくてすむからだ。 考えるのには力がいる。忍耐がいる。時間がかかる。大人になって自由に考えられる立場になったのに、先生がいなくなった途端に何を考えていいか分からなくなる。丸をつけてくれる人がいなければ、進めないなんて、情けないと思う。 忍耐強さは私たち日本人の特長のひとつではなかったか? 食べ物についての話は語りやすい。どんな人も食べずには生きられない。 というわけで、思いついた食べ物の話をふたつ。 ひとつは、絵本の国の「お子様ランチ」について。 「お子様ランチ」とは、食事のお店にたいてい揃えてある、子ども用のメニューのこと。これが、「なめられてるなあ」と思うほど、どこの店でも同じなんだ。 ハンバーグ、から揚げ(鶏肉のフライ)またはえびフライ、ポテト(揚げじゃがいも)、プリン型のごはん、ふりかけ、ゼリ

第10話/絵本の国

銅山の国、沼の原大学の二階に置かれた風呂敷包み。 そこから顔をのぞかせている日記帳…うさぎ、きらら、トゥラルパンの日記です。 そこには絵本の国(日本)についてのことが書かれていました。 「都会」への憧れを植えつけられる「豊かな」国 「田舎」への憧れは、どこからやってくる? 基地帝国の、絵本の国の未来を管理するための政策の文書 本当の独裁者については語らないメディア 必要以上にぶ厚い、絵本の国のペットボトル 「ステイト」(国家)と「ネイション」(くに) 便利な小機械に包囲された生活 それでも、きららは絵本の国に秘められた可能性があると感じています。「負けるな」、と。 ✦ 第10話は著者の言うように単独で読もうとしたときに読みやすい回です。 私も最初にここだけ単独で読んだことがありましたが、その衝撃はとてもくっきりしていました。登場人物のことや場面設定がつかめないので少し物足りないですが、日本に住む人ならこの一話だけ読んでもいいかもしれません。誰でもぴんとくる訴えばかりではないかと思います。 絵本の国と基地帝国は対等。なぜだか分からないけど表立っては、そう思わされています。本当はそうじゃないんだなあ、とあらためて実感する文章です。出てくる基地帝国の文書は読んだことありませんでしたし、聞いたこともなかったです。 何があっても「我関せず」という態度をとるのがかっこいいことにされたのはいつからなんでしょう。 怒りや訴えがかっこわるいことにされたのはいつから? 領土がおびやかされてもなぜか「しーん」としているのが正しいとでも言いたげなこの空気の中、ますます無力感が増しているように思う。 愛国とか日本が好きというのが悪いこと、眉をひそめられることになったのはいつから? きららさんやうさぎさんが絵本の国を旅したとき、自らの仕事に誇りを持って働く絵本の国の人びとの姿に感動したと書かれてました。 確かに一途で器用な性質はあるのだけど、誇りというのは日本人にとって難しいものになっている気がします。 自分の仕事はこれじゃないと思いながら働いているというか。いつも自分が変わることを考えさせられている。 今の仕事の喜び、つらさにまっすぐ向き合えない、逃げ腰の感じがあると思う。 そういうあり方ももしかしたら、灰

第9話/坑廃水

沼の原大学の構内で、ビーツ(赤蕪)とアボカドのサラダをつくるうさぎ。 大学に寝泊りしている人びとが、そこから近くの木陰でテーブルを囲み話をしています。 酸性坑廃水の問題 「最も貧しい」国とされるラオス国 豊かな土地、山に残された不発弾 水という資源がなくなる未来 「もう古いの計画・食べ物編」 循環型の暮らしが、野蛮な小大陸からの侵略で壊された “「痛みには、何かを変える力がある」” きららは、痛みとともに生きたいと、笑います。 ✦ ひふみよ上 で一部抜粋が掲載されています。 ✦ これから水を奪い合う時代がくると、『うさぎ!』は予言しています。 あまりにも鈍感にさせられている、水の問題。私たちの生活が直接にその惨状の引き金になっています。 酸性坑廃水のお話を読んでいて、似てるなあと思ったのが、原発のことでした。 福島の大事故から、大量の汚染水が生じた。 最近汚染水処理装置ができて、400日で福島第一の汚染水約20万トンを処理できるそう。処理後に出る樹脂を専用容器で保管する。(参考: msn産経ニュース ) 事故が起きた場合、この汚染水は海に流れ込んだり、土地に浸み込んだりして、水を汚染する。福島の事故のときも、事故直後の緊急事態では海に流されたりしていた、と本で読んだ。 処理後の産物は何万年と影響を残す。 それから原発には冷却が欠かせない。 海水や川の水で冷やす、大気で冷やす。冷やすというのはあたためるということ。海を、川を、空気をあたためる。水をあたため、生態系を壊す。 電気をつくるために。基地帝国の機嫌を損ねないために。 水がなくなる原因は農業と鉱業、とラオス国からきたヤンが指摘しています。 絵本の国はそれを浪費している国の中でもトップクラス。 何かを考え直さないわけにはいかない。 まずは麻痺させられている感覚を、取り戻すこと。そして、痛みを感じられる体(心)に戻ること。 そこからじゃないかと、きららは言う。 その通りだなあ、と私も思う。 経済学はコストを計算しないということに関連して思いついたこと。 とある数学者はエネルギーをつくる方法としての原発は、他の方法(火力とか)よりはるかに安全だと計算するらしい。 それは、その方法をとったこと

第8話/坑道で

銅山の国、鰐谷鉱山。 一筋の光もない真っ暗闇の坑道を、うさぎ、きらら、トゥラルパンたちは大学の人、鉱山の人とともに進んでいきます。 山が切り裂かれることで起きる、坑排水の被害、鉱山で働く人びとの肺の傷み。 そこで採られる錫は携帯電話やテレ・ヴィジョンといったハイテク製品に使われ、需要は増すばかりでした。 語られない痛みと、必要以上に宣伝される製品広告。 「そんなこと、あるわけないよ」と、灰色がまた微笑んでいます。 ✦ 2012年夏、著者の小沢健二さんは日本のいくつかの都市を巡回する展覧会を開きました。 その中の場面にあった、鉱山の写真・山にまつられている悪魔(ティオ)の写真が、今、やっと頭の中で鮮明に像を結んで現れてきています。 今まではその写真を、どう見ていたのか…今になってよく思い返せばそれは、偽善の印象だったように思う。 小沢さんは自分を善きものとして装っている、そういうふうに見えていた気がします。どうしてだろう。 「見なくていいもの、見たくないものをわざわざ見に行って、自分を良いものに見せようとしている」と感じたのはなぜか? きっとそれは灰色の力。現実に私もその力に影響されていることの証明だった。ただそこにあるものとして見ることができなくなっている。 もう一度見たいなあと思う。『うさぎ!』を経験したこの身で、もう一度、あの写真たちを見てみたい。今度はどう見えるだろう。きっとまったく違うように見えるだろう。 ところで私の生まれた栃木には、足尾銅山という山があります。その鉱毒の影響は今も続いているそうです。名前をお聞きになったこともあるでしょう、その鉱害と戦ったのが田中正造と言いまして、我が「くに」の英雄であります。…というのを久しぶりに思い出した。 山を切り裂き、森を切り裂き、川を切り裂いて、私たちの生活は成り立っている。 ずっと前からそうだったみたいに思うけれど、そうなったのは実はそれほど昔ではない。 すっと前からそうだったように思わされているだけ。 どうしても液晶が、ハイテク機器が、携帯電話が必要だと思わされているだけ。 そのことは忘れないでいたいと思う。 いつでも誰かが、山や森や川が、痛めつけられているということを。 灰色は人びとの心の痛みまでも利用してく

第7話/時と空間がくっついて、離れがたくなっているもの

うさぎは、銅山の国に息づく考え方について思っています。 パチャ(世界、土地、時空) アイリュ チャクラ その生き方は灰色の逆を行くものだと考えています。 灰色は一種類の考え方だけを人びとに与え、それ以外に思いが及ばないように仕掛ける。 時が、人が、場所が、分断されるように仕組む… ベビーカーとコーヒーショップ 不満足を植えつける 歴史の教科書 NGO あらゆる形を使って。 銅山の国のお祭り。色とりどりの色彩と、歓声…壊れていくものと、続いていくもの。その中にいる、自分たち。 ✦ 今という時。ここという場所。 私の目の前にある、いまという時空。 それが壊れかけている、と『うさぎ!』は言います。 子どものいまを見ていない親。 今目の前にないものばかりを追う人びと。 こうして、いま、目の前にいない人に向かって文章を綴っている自分も? 子どもたちは今を楽しむことに全力をかけてくる。息子たちもそう。手加減なし。楽しいこと、うれしいこと、すきなことに命懸けだ。悲しむときも怒るときも、体の全部を投げ出してくる。 親は比較され、評価され、おびえる。今が見られなくなる。 親も身を投げ出せばいいんだと思う。子どもはそれを一番喜ぶから。 無数の考え方、無数の生き方。あらゆる色を含んだ虹のような場所…私たちはそれを思い描くことができるだろうか。 「お互いに」のない世界で。 私が小さい頃は、親からよく聞かされていたと思う、「お互いさま」って言葉。 何かしてもらったら、お返しする。迷惑をかけられても、次はこちらが迷惑をかける番になるかもしれないのだから、許す。「お互いさま」。 クリーニング屋さんのお兄さんから出る言葉も「自己責任」だもんなあ…。(つい数日前のこと) 爛熟した消費文化の中での子育て、ということについては、小沢牧子さん(小沢健二さんのお母さん)著の『子どもの場所から』にも詳しく出ているので、ぜひご一読ください。図書館に置いてあります。まるで『うさぎ!』を読んでいるみたいです。 教科書が偏っているなんて、語られる歴史がそもそもゆがんでいるなんて、はっきりとは知らなかった。考えてみたら当たり前なんだけど。水のように透明なのかと思ってた。 人がつくるものには、

第6話/ジャーナリスト/ここまできた世の中だからこそ

虹色の服 灰色が導く ジャーナリストの仕事 原爆投下の理由 絵本の国のいま バスで知り合った山あらしと、山あらしのお母さん、双子の弟たちと、うさぎ、きらら、トゥラルパンは、山あらしの家の屋上で話し合っています。 待つ(エスペラール)と希望(エスペランサ) ここまで来た世の中だからこそ 絵本の国のおもしろくないデモ かつて虹のような暮らしに満ちていた絵本の国のいまと行く末。「豊かな」国に起こっていることを、外側から眺めてみると分かる、はっきりとしたいくつかのこと。 ✦ 第6話、たくさんの日本の人に読んでもらいたい文章です。 絵本の国。この言葉は、日本のことを指しています。 たくさんの基地帝国の基地が立ち並ぶ、この国。 虹のような輝きをすっかり失ってしまった絵本の国を、うさぎくんたちも悲しんでいます。 “希望が死に絶えて、生きていることの誇りも、未来も、感じられなくなる時が来るはずでした。 そうなる前に、うさぎたちは、絵本の国の人たちに、希望について何か伝えたい、と思っていました。”  第6話 187頁 行ったことがあり、絵本の国が好きになってしまったという、うさぎ、きらら、トゥラルパン。絵本の国の異常なあり方を心配しています。 確かに異常ですね。どうしてこうなってしまったんだろう?こわいことは見ないように、見ないふりをして、ここまで来てしまったんだろうなと思う。 絵本の国の民族衣装のひとつに、着物があります。 着物。私たちのひとつ上の世代の人は、誰でも持っている服です。私たちの世代では、持っている人は少ないです。必要になったら借りるものになっています。一部の冠婚葬祭、子どもの入園・入学式、七五三などに着用されることがあります。あとは茶道をたしなむ場合。 私は去年、二人の母から着物を譲ってもらい、季節に一度、お祭りの時などに着ることにしています。私たちの世代では着方も分からないので、テレビで勉強しました。 そうして着物で出かけた先であった知り合いから、「除外の目」で見られることを知りました。 「除外の目」ってどういうことかと言いますと、着物と見ると一目で「ああ、キモノね、私には関係ない服だわ」という、競争相手から外される視線というのを投げられるのです。洋服同士なら

第5話/水

トゥラルパンは銅山の国の平和市へ向かうバスに乗っています。 水の研究資料について、きららとうさぎと三人で話し合ったときのことを、 思い出しています。 強力な薬、最新技術を駆使した化粧品が水に流れ込み、生態系を狂わせているという研究結果 すべてのものごとはつながっている 幸せになるなら、みんなで幸せになるしか、方法はない 逃げ場所はない 「恐怖をあおって言うことを聞かせるやり方」を疑え バスでトゥラルパンは、尾長鳥の国から平和市に戻る山あらしと知り合います。 そして、それからしばらくして、平和市にうさぎときららがやってきました。 二人は歓声を上げます。 商店街はトゥラルパンたちの手によって、見たこともない様子に変えられていたのでした。 ✦ 第5話は特に女性、またはお化粧を日常的にされる方に、読んでみてほしい内容です。 私は日常的に化粧をします。化粧品を見たり、化粧品についての記事を読むのもすきです。 毎季、色とりどりの広告とともに、新製品が次から次へと発売されていきます。機械と一緒。しかも化粧品や薬は直接に水と触れ合って存在しています。 すてきなイメージが波のようにざぶざぶと押し寄せてくる。私たち女性はそれにさらされ、欠点を指摘され、後ろめたさを植えつけられています。 最近はそれに対抗して「ナチュラルコスメ」という逃げ場がつくられていますね。 ケミカルからノンケミカルへ。合成物質を敵とし、自然のものからつくられることを重視する。 そういう新しい市場ができています。 まだそれほど選択肢も少なく、価格が高く、本当の「ナチュラル」なものと偽の「ナチュラル」が混在する「ナチュラルコスメ」分野ですが、これからそうした好みを持つ人は増えていくのかなと思います。 ちなみに私は『うさぎ!』以前からそのナチュラルコスメのほうへ意識が向いていたのですが、第5話を読んで、それがもし合成から逃げるためであるなら無意味なんだな、と思うようになりました。 よくよく考えて、逃げるためという理由のほかに、使っていていろんな意味で心地いいということに気づき、それなら少しは意味がある、と思い直しているところです。 あと、「女は若くなきゃダメ」について。 その通り、日本の化粧品業界の広告では「実年齢より10歳

第4話/「資本主義」はまともに存在していない

お話の時は少し戻って、うさぎときららの出会いについて語られる。 うさぎは、きららやトゥラルパンと出会う前に「ボトルの水」のことを考えていた。 リサイクルマークの数字のからくり 微妙な違いのイメージにあふれ、選ぶ時間ばかりが増えていく灰色の世界 灰色は市場の力が働かないようにねじまげる プラスチックはリサイクルするのに多大なエネルギーを使う 灰色の思いをうまく形にする、悪めがねと専門家 水、そしてプラスチックのことを話し合いながら、友達になったふたり。 ✦ この前、我が家のプリンターが壊れました。 とある精密部品が、長年(5年)の使用により磨耗したらしい。直すのにかかる費用は、九千円。同じシリーズの新しい機種が、一万千円。 プリンターメーカーの人「お客様のお使いの機種は、今後、サポート対象外になります。新しいものを買ったほうがよろしいかと…」 『うさぎ!』通りの反応。 機械はなおすことを前提に売られていない。パソコンも、プリンターも、ファックスも。温水便座も、掃除機も。 これがズボンやシャツや布製品だったら、まだ、なおす余地もあるのだけど、プラスチックは素人が手を出せない。 製品がプラスチックばっかりで作られているのって、なおす余地をなくすことも、狙いのひとつなのかも、と思った。 それから参考資料のところで出ている言葉、 LET THEM EAT POLLUTION (環境破壊を「貧しい」よその国に移す) というのが、生々しくってどきりとした。 灰色は世の中の効率を悪くする…それに気づいてしまってから。 どうしてその言うなりにならなくちゃならないんだろう、ともやもやしている。 「新しいものを買ったほうが安い」 は、私にとって都合のいい言葉ではなくなった。 できる限り、抵抗するべき言葉であると、思うようになった。 うさぎくんが、革靴を靴屋さんでなおしてもらうように、万年筆にインクを詰め替え大事に手づくりの袋へしまうように。 そういうことを私もしていきたいと思った。 それから小さな店は、私の住む水の街でも、隅に追いやられている。 商店街に並ぶそれらの店は、シャッターが閉じられていることが多い。 その中でもかろうじて営業している自転車屋さん、花屋さん。珈琲豆

第3話/灰色の演説

主な話者その一:灰色の演説を聞いた給仕 ダーウィン流の進化を考える 主な話者その二:トゥラルパン 滞在している銅山の国から、あひる社に宛てた手紙 自己責任 対 親切 他人の痛みを自分のお腹の痛みとして感じる 灰色の演説 温泉のある町 ダーウィン流の進化 銅山の国についた、うさぎときらら。平和市にいるトゥラルパンに会うため、街を歩いていく。 「あっ!」 「すごいっ!」 そこで二人が目にしたものは? ✦ 「自己責任」。大人の常識のひとつ、として日本の隅々にまでゆきわたっているのではないかと思う。 これも、人とのつながりを断とうとする、灰色の企みのひとつなのか。 確かにな、最近こちらが「手伝いましょうか?」と言うと、完全な笑顔で頑なに「いいです」と言われることが多い。 逆にこちらが助けてもらいたいときは「誰か助けてくれないかな」ときょろきょろするんだけど、みんな避けるように通り過ぎていく。 金持ちたちに対する灰色の演説を聞いた宴会場の給仕さんは、「適者生存」「弱肉強食」との演説に引用された『ダーウィン流の進化』をめくりながら、「最も優れているのはアリの脳」というダーウィンの主張につきあたる。 仲間を助け、死して地や動物の利となる。昔話が語る三つの親切。 親切、すきだけどな。いつごろからだろう、「この親切の裏には何があるんだろう」と考えなくちゃならなくなったのは。 いつからだろう、「そのへんにいる人の痛みまで考えてたらやっていけない」と思うようになったのは。 東京に住んでいた頃に、そういうふうになった気もする。 だいたい東京は人が多すぎて、「人と会ったら挨拶をしましょう」という普通のことも、できやしないんだ。一人ひとりに挨拶しようとしてたら生活が成り立たない。 今住んでいる、水の街では、「人と会ったら挨拶をしよう」はけっこう現実的な提案だ。それほど多くの人とはすれ違わないから。 人が必要以上に集められた場所から、親切はひずんできている気がする。 苦しんでいる人、そばで見ている人、それぞれを個の中に閉じ込める、魔術の言葉「自己責任」。確かによくできてる、と思わず灰色の手口に感心してしまう。 会社の退職金も、自己責任。買った品物を言われたとおりに使わなかったら、自己責任。民営

第2話/旅立ち

主な話者:うさぎ 友達で囚人の自由鳥へ宛てた手紙 いつも裸足のきらら 「まわりの人みんながそう言っている」と思いこませる、人びとの心をコントロールする「テレ・ヴィジョン」 なおすこと 遠くの国から「豊かな」国へ、長い距離を運ばれてくる、安い野菜 うさぎは、手紙を書きながら、灰色の仕業に腹を立てている。 銅山の国への乗り継ぎの飛行機を待ちながら。 ✦ 『うさぎ!』が紹介する、インターネット上の参考資料 http://www.foodfirst.org/backgrounders/goinglocal 他、英語の紙媒体資料 ✦ ところで、登場人物のうさぎは、小沢健二さんに似ていると思う。太ってるところは似てないけど。 うさぎは、食いしん坊で、体からのメッセージに素直だ。お茶目なところがある。そして熱い。 “「人の社会をなおそう…。星をなおそう…。」毛布にうもれて、うさぎはぶつぶつつぶやいているのでした。” 第2話 65頁 テレビ、そう言えば、「うさぎ! をめぐる冒険」というトークショーでも、触れられた話題だ。 BOSEさんいわく「最近テレビ見なくなったよね」。 私もあまりテレビを見ない。子どもと一緒に子ども番組を見る程度。でも最近は、時間があれば、ニュース番組をいくつかのチャンネルで見るようにしている。 時々見ると、テレビのコマーシャルというのが、すごいのだ。何て言うのかな、激しい色彩で、必要以上に大きな声で、ぐいぐい来る。 引いた態度で流れるコマーシャルも時々あるのだけど、その「さりげなくなさ」も、ものすごい。 私の父や母はテレビが好きだ。いつでも見ている。私より芸能人に詳しい。 「テレビでみんなが言っているから、これは正しい」観は、私の世代(30代)より親の世代のほうが強いのではないかと思う。まあでも、その暮らしは灰色の言うなりという感じでもないが。 日本人は特に「みんなと一緒」が好きだと思う。外れたことは、白い目で見られる。(私は逆で、「毛色が違う」と思われることが大好きだ。) 周りを見て合わせる、そうするといろんなことがなめらかに進む気がする。 その「合わせる」っていう態度の延長線上に、「他の人と違う意見は言いづら

第1話/昔むかし、あるところに

「このお話のころの世界」が語られる。 灰色から見た、人びとの姿。 灰色から見た、子どもの姿。昔話。 灰色にとって都合のよいことと、都合の悪いこと。 うさぎ、きらら、トゥラルパンが銅山の国へと、旅立つ。 沼の原での、水をめぐる戦いのお話が、始まろうとしていた。 ✦ 「豊かな」国と「貧しい」国。 豊かな国と聞くと、どこが思い浮かぶでしょう。 まず私に思い浮かぶのは、私の住む国、日本。それから、アメリカ、ヨーロッパの国々。 なぜだろう、なぜその答えが浮かぶんだろう? 第1話は、思い浮かぶ、自然に覚えさせられている、その不思議に、気づかせてくれる文章なのでした。 一番最初に第1話に出会ったのは、インターネットで、でした。 以前「毎日の環境学」というサイトに、第1話が掲載されたことがあったそうで、その時の画面がどこかに保存されていたらしい。 『うさぎ!』は難しい、という意見をちらちらと聞いていたので、おそるおそる。 読み終わってまず浮かんだのは、『モモ』みたいだな、ということでした。 『モモ』では灰色の服を着た、時間泥棒っていうのが出てくるでしょ、あの姿がまず浮かんだ。 あー、あのこわいものが、実は今の私のそばにいるんだなあ、と。そばまで来てるんだなあ…。 「本当に小沢健二が書いてるの?」と思うくらい、透明な語り口の印象を受けました。 そしてちょっと、こわい感じ。 まずいな、今の世界って、ここまで来ちゃってるのか、というこわさ。 あの小沢健二がこう書くほどの、書かなくちゃならないほどの、世の中に。 “お金の塊を大きくするのに都合のいい世界は、人びとがおたがいを疑って、怪しんで、怖がっているような世界でした。そのために、一人一人が、一つ一つ袋に入ったあめ玉のように、ばらばらになっている世界でした。” 第1話 15頁 日常の中で、この人びとが「ばらばらになっている」様子が思い浮かぶことが多いです。人と人がばらばらだと思うと、力が出てこなくなります。「どうせ何も変わらない」…そう言いたくなる気がします。 そうでない場所を思い描くと、力が出てきます。「何だってできる」と言えそうな気分。社会や政治や経済、なんて難しい言葉で区分けしないで、世の中をとらえてみたい。 無力感、私もいつも感じていま