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目次/ただいまの状況

小沢健二さん の連載寓話『うさぎ!』の感想を綴るブログです。目次(続きを読む)からお好きな記事をお選びください。 「黒人記者が語る『抗議デモ』と『人種主義』」を読んで 『So Kakkoii 宇宙』 感想文 2018年5月: 春の空気に虹をかけ 感想文 2017年10月31日: 小沢健二の連載小説『うさぎ!』はどこで買える? 2017年10月:『子どもと昔話73』うさぎ!休載 2017年2月27日: 2017年2月の小沢健二さんにまつわる出来事たち 大きな反響を呼んだ「第24話 原発について」は、著者公式サイトで読めます( うさぎ!第24話ネット公開によせて )。痛みについての 「第9話」抜粋 も。  本サイトの目次 以下、各話のタイトルは著者による表現ではありません。 第1話  昔むかし、あるところに 第2話  旅立ち 第3話  灰色の演説 第4話  「資本主義」はまともに存在していない 第5話  水 第6話  ジャーナリスト/ここまできた世の中だからこそ 第7話  時と空間がくっついて、離れがたくなっているもの 第8話   坑道で  第9話  坑廃水 第10話  絵本の国 第11話  食 第12話  NPM 第13話  善意でめっちゃくちゃ 第14話  メディア 第15話  パレスチナ問題 第16話  ホワイトサプレマシー 第17話  「○○との戦い」 第18話  戦いの一局面が、終わる 第19話、第20話  小沢健二に聞く 第21話  メキシコ 第22話  もう古いの計画 第23話  エジプト革命 第24話  原発 第25話  ロサンゼルス 第26話  第1話を再録 第27話  スチャダラパーの三人が『うさぎ!』をめぐって語る 第28話 白人優越主義 第29話 選挙 第30話 「低関心」と広告 第31話 現実は意思でつくられる 第32話 大雑誌・大新聞の記事と広告 第33話 広告は若者に忠誠心を植え付ける 第34話 日米「同盟」 金曜の東京 第35話 戦後の再デザイン 第36話を読書中 (10月22日追記) 戦後の絵本の国のこと 第37話 第38話と美しい無駄について 灰色という名づけの妙 なぜ「絵本の国」か なぜうさぎ? うさぎさんへ 『セラピー的な』読みました 小沢牧子さんの『「心の専門家」はいらない』を読みました 泡について 痛みとしてのファッション(装

「黒人記者が語る『抗議デモ』と『人種主義』」を読んで

この投稿では、日本人の定義をこんなふうに考えてみます。 日本人とは、日本または海外に住む、「私は日本人である」と考える人のうち、「日本人は、すべて、私のようにあるべきだ」と信じている人のこと。 どうでしょう。何か、変だと思いませんか。 上記の定義で、話を進めていきます。 日本人が、Black Lives Matterと主張する抗議デモを見聞きするとき、3つの間違いが生まれます。 ひとつめは、「抗議デモの引き金となった、白人の警察官などが黒人の市民に対して行う不合理な行為は、頻繁に起こるものではない」という認識です。 これは、間違いです。理由は、次の動画を見れば理解できます。 Black Parents Explain | How to Deal with the Police Black Parents Explain 和訳付きはこちら ふたつめは、「抗議デモは、私たち日本人には関係がない」という認識です。 これは、間違いです。理由は、私たち日本人は、差別されているからです。バイエ・マクニールさんが書いているとおり、そうでなければ、アメリカは日本に原爆を落とさなかったでしょう。 みっつめは、「抗議デモを見聞きしても、私は、何もしていない。何もしていないのだから、ほめられることもないが、責められることもないはずだ」という認識です。 これは、間違いです。理由は、見聞きして何もしないことは、それを認めることを意味するからです。 私がこの3つの間違いに気づいたのは、最近のことでした。この3つの間違いに気づいたあとに、自分の中に「日本人ではない人」に対する恐怖心があることにも気づきました。 私は今、怒りの感情を持っています。また、"Our Lives Matter"とも、思っています。 知ること、疑問を持つことを続けたいです。そして、手の届く範囲の私の世界を変えていきたいです。 黒人記者が語る『抗議デモ』と『人種主義』

『子どもと昔話』定期刊行終了へ

2019年春に刊行された『子どもと昔話』79号で、定期刊行終了のお知らせがなされました。 2020年1月刊行の第82号で定期刊行を終えるとのことです。その後は、随時不定期に刊行されるとのことです。 何年か、定期購読をさせていただいていましたので、さみしく感じるところもあります。同時に、小澤俊夫編集長の今後のご活躍をお祈りしたいと思います。

春の空気に虹をかけ 感想文

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人ってきれいだな。 光ってきれいだな。 と心が喜ぶような夜でした。 光で、舞台と客席がつながって、 歌で、舞台と客席がつながって、 みんなで一緒にきれいな夜をつくっているようでした。 演奏者さんたちと、観客の間に 垣根がなくて、一緒だったと思います。 そして、長年の小沢健二ファンだけでなく、 「小沢健二、なつかしい」 「小沢健二、生きてたんだ?」 というみなさんがとても楽しめる仕組みに なっていたと思います。 管楽器の演奏家さんのみなさん、 それから弦楽器の演奏家のみなさんが、 それぞれの空き時間に それぞれの踊りや身振りでオーディエンスと 通信していたのがすてきでした。 ハープの音がすごくきれいでうっとりしました。 大好きな白根さんのドラム。 今回のフクロウも最高でした。 ギターの力、安定して届いてきました。 服部さんの指揮、美しかったです。 満島さんが自分の存在感を自在に操る様子は 圧巻でした。 出るところと引くところの強弱の付け方が すばらしかったです。 満島さんとのコントラストで、小沢さんの格好よさが 際立って、美しかったです。 視覚的に忘れられないのは「いちごが染まる」 音として忘れられないのは「フクロウの声が聞こえる」です。 個人的にうれしかったのは「ビバップ」と「あらし」です。 「神秘的」のところで泣きそうになりました。 満島さんが光を反射させていく演出が 好きでした。光をつかむのが楽しかったです。 観客席では、隣の男女も前の女子たちも 体を揺らしてすごく歌っていました。 特に男子のところは、隣の人ががんばっていました。 ずっとがんがん踊っていた隣の男性が、 「ある光」のときだけ踊らずに直立不動で 舞台を凝視していたのが印象的でした。 私たちの歌、舞台で聞いたら、どんな感じだったんでしょうか。 また一緒に歌えるときが来ることを 楽しみにしています。 

小沢健二の連載小説『うさぎ!』はどこで買える?

小沢健二さんの『うさぎ!』はその一部が単行本としてまとめられたことがあり、ご本人のライブツアーのポップアップショップなどで買うことができました。ですが、普通の書店、本屋さんでは扱われていません。 『うさぎ!』が連載されている『子どもと昔話』という年に4回発行される冊子があり、こちらは大きな図書館に置かれていることがあります。京都のホホホ座さんや、下北沢の気流舎さんなど、少数のすてきな本屋さんにも並んでいるようです。 というわけで、『うさぎ!』を読まれたい方は大きな図書館に行ってみて『子どもと昔話』を探してみることをおすすめします。近くにすてきな本屋さんがある場合も探してみてはいかがでしょう。 もっと手っ取り早いのが『子どもと昔話』を購読する方法です。年に3千円台のお値段で、年に4回、冊子がご自宅に届きます。(ただ、現在:2017年10月、小沢さんは音楽活動においそがしいために『うさぎ!』を休載されています。)

2017年2月の小沢健二さんにまつわる出来事たち

「うさぎ!」「子どもと昔話」をご愛読のみなさま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。 さて、小沢健二さんの連載小説(寓話、エッセイのような物語)「うさぎ!」はここ43の季節において、ずっと、そっと、時に熱く、連載され続けてきました。 43の季節(余りあり)、読者のみなさんと小沢健二さんは場を超え、同じ場所にい続けたわけであります。 そういうわけで、小沢健二さんのシングルが久しぶりに売り出されてからよく聞く「お帰りなさい」に対して、「オザケンは帰ってきたわけじゃなくて、ずっといました、そこここに」と心の中で何度かつぶやいている今日この頃です。 朝日新聞に載った一面広告の文章、おもしろかったですね。2017年冬のうさぎ!第43話とのつながりを感じながら、感慨深く読みました。( 公式サイト「ひふみよ」にも掲載されています。 )みなさんはどう感じられたでしょうか。 ビバ、ガラパゴス! この響きが妙によくなじんで、笑いたくなるような、勇気づけられるような気持ちがします。 日本人デザイナーのつくるデニムの話が、ラジオ「きらクラ!」に登場していました。日曜の昼下がり、お聞きになったでしょうか?(私は、子どもたちを遊び場に送迎しながら、遊びが終わるのを待ちながら、インターネットラジオで聞きました。ラジオ、どうやって聞くんだ?と思ったら、タブレットにちゃんと「ラジオ」というメニューが用意されていました。初めて使った機能。) 日本の人じゃない人が奏でる、雅楽。ジーンズ文化の人じゃない人がデザインする、デニム。そのときに際立ち、明らかになるもの。 自分たちが持っているものと、持っていないもの。人の脳は欠けた部分に意識が行くようになっていると誰かが言っていました(そうだ、学校の保護者講座に来ていた心理学の先生)。持っているものには無頓着になり、欠けているものに執着してしまう、確かにそんなところはあるような気がします。 日本の食パン、日本のデニム。そんな光を小沢さんと小沢さんのご家族が見つけて、こちらに光を返してくれる、そんなやりとり。光を鏡で反射させて、光の欠片を壁に映すようなそんなことに、無心になって、くすっと笑ってしまうんです。 同じようなことを、私は吉本ばななさんからも受け取っています。だんだん訓練されて、自分でも見つけられるようになって

子どもと昔話69 うさぎ!第42話 きららの断章連作

“切れていく人のつながり ” うさぎ!の次のページに載る、下河辺牧子さんの『老いの場所から』 の一節。アメリカ大統領選挙の直後の今、何とも目に吸いつくような表現です。 花をつくる、世話する時間もなく、電気を吸い取らせた電子機器に何時間も向かう私たち。つながりは消え、街から花が減る……。ドイツでもその様子が見られると言います。 つながり。灰色の嫌うもの。灰色は断絶、孤立を好む。devideという単語を聞く今、灰色はにやにやとしているでしょうか。 もっと大きく、もっと強く。その願いを電気が叶えてきた。同時に、私たちは電気に縛られています。電気が止まればとても困る。ないと困るものは、私たちを縛ります。「縛られているなあ」と、気づく、思うスポットを与えてくれる、そんな『子どもと昔話』です。 集まること、つくること。団結すること。灰色が嫌うことを、日々、していきたい。スマートフォンも使いよう。何万人ものデモも起こせる。離れた仲間を1つのスクリーンに集めて、みんなで花火のような場をつくることもできる。 まだ誰も見たことのない一日を、みんなで迎える。今、何ができるかな。それは大きなことじゃなく、小さなことであるはずです。 春日ひまわり