第3話/灰色の演説
主な話者その一:灰色の演説を聞いた給仕
ダーウィン流の進化を考える
主な話者その二:トゥラルパン
滞在している銅山の国から、あひる社に宛てた手紙
自己責任 対 親切
他人の痛みを自分のお腹の痛みとして感じる
灰色の演説
温泉のある町
ダーウィン流の進化
銅山の国についた、うさぎときらら。平和市にいるトゥラルパンに会うため、街を歩いていく。
「あっ!」
「すごいっ!」
そこで二人が目にしたものは?
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「自己責任」。大人の常識のひとつ、として日本の隅々にまでゆきわたっているのではないかと思う。
これも、人とのつながりを断とうとする、灰色の企みのひとつなのか。
確かにな、最近こちらが「手伝いましょうか?」と言うと、完全な笑顔で頑なに「いいです」と言われることが多い。
逆にこちらが助けてもらいたいときは「誰か助けてくれないかな」ときょろきょろするんだけど、みんな避けるように通り過ぎていく。
金持ちたちに対する灰色の演説を聞いた宴会場の給仕さんは、「適者生存」「弱肉強食」との演説に引用された『ダーウィン流の進化』をめくりながら、「最も優れているのはアリの脳」というダーウィンの主張につきあたる。
仲間を助け、死して地や動物の利となる。昔話が語る三つの親切。
親切、すきだけどな。いつごろからだろう、「この親切の裏には何があるんだろう」と考えなくちゃならなくなったのは。
いつからだろう、「そのへんにいる人の痛みまで考えてたらやっていけない」と思うようになったのは。
東京に住んでいた頃に、そういうふうになった気もする。
だいたい東京は人が多すぎて、「人と会ったら挨拶をしましょう」という普通のことも、できやしないんだ。一人ひとりに挨拶しようとしてたら生活が成り立たない。
今住んでいる、水の街では、「人と会ったら挨拶をしよう」はけっこう現実的な提案だ。それほど多くの人とはすれ違わないから。
人が必要以上に集められた場所から、親切はひずんできている気がする。
苦しんでいる人、そばで見ている人、それぞれを個の中に閉じ込める、魔術の言葉「自己責任」。確かによくできてる、と思わず灰色の手口に感心してしまう。
会社の退職金も、自己責任。買った品物を言われたとおりに使わなかったら、自己責任。民営化と一緒で、明るい・広いイメージに見えて、その実、狭い・こわい言葉かも、と思う。
それから温泉の話も出てくる。日本はそこら中に温泉があって、その土地の人はその土地の温泉を誇りに思っていると思う。
ああいう熱源から電気起こせないんだろうか…。
温泉っていいですよね。働いている人たちも誇り高いですよね。自分も土地にくっついてありたいと思う。
うさぎは、ボトルにつめられて売られている水のことが気になっている。
水。生きるのにどうしても必要なもの。
水をめぐる戦い。『うさぎ!』はこれからの世で起こるだろうことに、思いを馳せている。
痛みを感じている人を目の前にして、「その痛みを自分のお腹の中の痛みとして感じ取る能力」。
まさにこれ、著者自身に起きたことなんだろうなあと想像する。
世界中を旅して、世界中に友達を持って。その友人たちの痛みを、自分の内からの痛みとして感じ取る体験。それが、著者にこの『うさぎ!』というお話を書かせたのではないかと。
誤解されようが、批判されようが、どう思われようが構わない。書かずにはいられない痛みを経験した(してしまった)のではないか。
それを母国語で母国の友人に向かって書く。その意味と覚悟。
「そういう役割なのかな、と」とインタビューで答えているその意味が、少し分かったような気がした。
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関連ページなど
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http://tu-ta.at.webry.info/200708/article_8.html