第7話/時と空間がくっついて、離れがたくなっているもの



うさぎは、銅山の国に息づく考え方について思っています。

パチャ(世界、土地、時空)
アイリュ
チャクラ

その生き方は灰色の逆を行くものだと考えています。


灰色は一種類の考え方だけを人びとに与え、それ以外に思いが及ばないように仕掛ける。
時が、人が、場所が、分断されるように仕組む…


ベビーカーとコーヒーショップ
不満足を植えつける
歴史の教科書
NGO


あらゆる形を使って。


銅山の国のお祭り。色とりどりの色彩と、歓声…壊れていくものと、続いていくもの。その中にいる、自分たち。



今という時。ここという場所。

私の目の前にある、いまという時空。

それが壊れかけている、と『うさぎ!』は言います。


子どものいまを見ていない親。
今目の前にないものばかりを追う人びと。

こうして、いま、目の前にいない人に向かって文章を綴っている自分も?


子どもたちは今を楽しむことに全力をかけてくる。息子たちもそう。手加減なし。楽しいこと、うれしいこと、すきなことに命懸けだ。悲しむときも怒るときも、体の全部を投げ出してくる。

親は比較され、評価され、おびえる。今が見られなくなる。

親も身を投げ出せばいいんだと思う。子どもはそれを一番喜ぶから。


無数の考え方、無数の生き方。あらゆる色を含んだ虹のような場所…私たちはそれを思い描くことができるだろうか。

「お互いに」のない世界で。


私が小さい頃は、親からよく聞かされていたと思う、「お互いさま」って言葉。

何かしてもらったら、お返しする。迷惑をかけられても、次はこちらが迷惑をかける番になるかもしれないのだから、許す。「お互いさま」。

クリーニング屋さんのお兄さんから出る言葉も「自己責任」だもんなあ…。(つい数日前のこと)


爛熟した消費文化の中での子育て、ということについては、小沢牧子さん(小沢健二さんのお母さん)著の『子どもの場所から』にも詳しく出ているので、ぜひご一読ください。図書館に置いてあります。まるで『うさぎ!』を読んでいるみたいです。


教科書が偏っているなんて、語られる歴史がそもそもゆがんでいるなんて、はっきりとは知らなかった。考えてみたら当たり前なんだけど。水のように透明なのかと思ってた。

人がつくるものには、その人(人びと)の矢印がどうしても紛れ込む。そして時にそれは灰色の仕組んだ矢印かもしれない。

時に、その矢印が、人びとを苦しませる。悲しませる。時に、楽しませる、喜ばせる。


のびのびと、手を広げて、胸を広げて、生活したいなあと思う。縮こまって、おびえて、こわがっているよりも。

お祭りのときには、心を躍らせていたい。薄紅色の着物を着て。


この「いまという時空を取り戻す」という訴えは、小沢健二さんの作品集『我ら、時』でも表現されていると思う。

つながりを取り戻す。生きている場所から、世界を違う目で眺めてみる。そういう試み。

土を耕すように。

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