第10話/絵本の国
銅山の国、沼の原大学の二階に置かれた風呂敷包み。
そこから顔をのぞかせている日記帳…うさぎ、きらら、トゥラルパンの日記です。
そこには絵本の国(日本)についてのことが書かれていました。
「都会」への憧れを植えつけられる「豊かな」国
「田舎」への憧れは、どこからやってくる?
基地帝国の、絵本の国の未来を管理するための政策の文書
本当の独裁者については語らないメディア
必要以上にぶ厚い、絵本の国のペットボトル
「ステイト」(国家)と「ネイション」(くに)
便利な小機械に包囲された生活
それでも、きららは絵本の国に秘められた可能性があると感じています。「負けるな」、と。
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第10話は著者の言うように単独で読もうとしたときに読みやすい回です。
私も最初にここだけ単独で読んだことがありましたが、その衝撃はとてもくっきりしていました。登場人物のことや場面設定がつかめないので少し物足りないですが、日本に住む人ならこの一話だけ読んでもいいかもしれません。誰でもぴんとくる訴えばかりではないかと思います。
絵本の国と基地帝国は対等。なぜだか分からないけど表立っては、そう思わされています。本当はそうじゃないんだなあ、とあらためて実感する文章です。出てくる基地帝国の文書は読んだことありませんでしたし、聞いたこともなかったです。
何があっても「我関せず」という態度をとるのがかっこいいことにされたのはいつからなんでしょう。
怒りや訴えがかっこわるいことにされたのはいつから?
領土がおびやかされてもなぜか「しーん」としているのが正しいとでも言いたげなこの空気の中、ますます無力感が増しているように思う。
愛国とか日本が好きというのが悪いこと、眉をひそめられることになったのはいつから?
きららさんやうさぎさんが絵本の国を旅したとき、自らの仕事に誇りを持って働く絵本の国の人びとの姿に感動したと書かれてました。
確かに一途で器用な性質はあるのだけど、誇りというのは日本人にとって難しいものになっている気がします。
自分の仕事はこれじゃないと思いながら働いているというか。いつも自分が変わることを考えさせられている。
今の仕事の喜び、つらさにまっすぐ向き合えない、逃げ腰の感じがあると思う。
そういうあり方ももしかしたら、灰色の操作のひとつなのかもしれません。
絵本の国の人たちは小機械が好きです。家電屋さんは日常生活に欠かせないお店のひとつにみなされていると思う。
それから貼り紙にもとても注意を払います。注意、命令、禁止の指示を一字一句読んで行動しようとします。絵本の国の人たちは怒られることがとても嫌いだからです。
そのふたつを合体させたのが、第10話に出てくる「あの女の人の声」なのだと思う。
従うことは簡単ですが、従ってばかりいるとどこに進んでいるか分からなくなります。その分からなくなることがまた、従うことの甘美さを引き立てていることさえありそうです。
誇り。日本独特の謙遜の文化も、誇りという土台がなければ、そもそも成り立たないはずなのですが。
読後、日本の歴史について、日本の文化や美しさについて、もっと知りたいと思うようになりました。まずは万葉集に触れてみよう。
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