第1話/昔むかし、あるところに


「このお話のころの世界」が語られる。
灰色から見た、人びとの姿。
灰色から見た、子どもの姿。昔話。
灰色にとって都合のよいことと、都合の悪いこと。

うさぎ、きらら、トゥラルパンが銅山の国へと、旅立つ。
沼の原での、水をめぐる戦いのお話が、始まろうとしていた。



「豊かな」国と「貧しい」国。
豊かな国と聞くと、どこが思い浮かぶでしょう。
まず私に思い浮かぶのは、私の住む国、日本。それから、アメリカ、ヨーロッパの国々。

なぜだろう、なぜその答えが浮かぶんだろう?
第1話は、思い浮かぶ、自然に覚えさせられている、その不思議に、気づかせてくれる文章なのでした。


一番最初に第1話に出会ったのは、インターネットで、でした。
以前「毎日の環境学」というサイトに、第1話が掲載されたことがあったそうで、その時の画面がどこかに保存されていたらしい。

『うさぎ!』は難しい、という意見をちらちらと聞いていたので、おそるおそる。

読み終わってまず浮かんだのは、『モモ』みたいだな、ということでした。
『モモ』では灰色の服を着た、時間泥棒っていうのが出てくるでしょ、あの姿がまず浮かんだ。

あー、あのこわいものが、実は今の私のそばにいるんだなあ、と。そばまで来てるんだなあ…。


「本当に小沢健二が書いてるの?」と思うくらい、透明な語り口の印象を受けました。
そしてちょっと、こわい感じ。

まずいな、今の世界って、ここまで来ちゃってるのか、というこわさ。

あの小沢健二がこう書くほどの、書かなくちゃならないほどの、世の中に。


“お金の塊を大きくするのに都合のいい世界は、人びとがおたがいを疑って、怪しんで、怖がっているような世界でした。そのために、一人一人が、一つ一つ袋に入ったあめ玉のように、ばらばらになっている世界でした。”
第1話 15頁

日常の中で、この人びとが「ばらばらになっている」様子が思い浮かぶことが多いです。人と人がばらばらだと思うと、力が出てこなくなります。「どうせ何も変わらない」…そう言いたくなる気がします。

そうでない場所を思い描くと、力が出てきます。「何だってできる」と言えそうな気分。社会や政治や経済、なんて難しい言葉で区分けしないで、世の中をとらえてみたい。

無力感、私もいつも感じています。周りの大人のあきらめた様子。

子どもたちは何もあきらめてないのに。

「どうせ変わらないよ」その思いは個人の中から生まれたものなのではなく、灰色が仕込んだものなのかもしれない。その発見は、大きな発見でした。私は憎むものを間違ってたのかもしれない。

無力な自分を憎むとか、あきらめてる人を憎むとか、そんなことが的外れだったと気づけた。

そんな発見をさせてくれた文章は、他にありませんでした。

(でも、ここまではっきりとした思いには、第1話を読んだだけではたどりつけなかったと思います。これは、『うさぎ!』全編や、小沢健二さんがコンサートで朗読するモノローグ、ひふみよサイトの文章などを経験して初めて、固まってきた思いです。

でも、その核は、実はすべてこの第1話に書かれていたのだとも、思います。)

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