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第38話(『子どもと昔話』2015年春号)を読んで

2015年の4月中旬に届いた、『子どもと昔話』2015年春号。 連載『うさぎ!』は第38話が掲載されています。 また、『「うさぎ!」を読む会の報告2』として、大阪ココルームの読書会の方々からの寄稿文も。 私は『子どもと昔話』が届いたら、まずは、巻末の小澤編集長の「日本を見つめる」を読みます。今回は、特別に転載された元ドイツ大統領の演説(過去に目を閉ざす者は、現在にも目を閉ざすことになる)に特に感銘を受けました。その後、下河辺さんの「老いの場所から」を読み、その後に『うさぎ!』関連を読んだり、エリザベスさんのフォトエッセイを見たりします。 「今回はどんな昔話が入っているかな?」という点も、お楽しみのひとつです。 さて今回、『うさぎ!』を読んで、「文化や歴史などの文脈から切り離された、ものやこと」についていろいろ考えていました。 例えばですが、この前見てきた、地元のおまつり「大垣まつり」。 13のやま(「車山」というのをぎゅっとくっつけた「 軕」という字が当てられます)が、市内の門前町をくまなく巡るという祭礼行事です。300年以上続いているおまつりだそうです。 町ごとに、代々受け継いできた「やま」を、その町の構成員が引き回します。(お酒を飲みながら…。) 巡るルートは、一年ごとに東回り、西回りと変わります。その道筋は決まっていて、変えることはできません。そのルートの中には、「10メートルほどで行き止まりなんだけど、必ず行って戻らなくちゃいけない」という箇所もあります。なんという美しい無駄。 これを「日本のおまつり」として、海外に輸出したらどうなるか。構成員にもルートにも制限を設けず、ただ形だけ「やま」を引き回す…そうしたら、その場では、この文化の美しさはほぼ消えてしまうことでしょう。 そういうようなこと、レリゴーもメイソン・ジャーと同じようなことが、身の回りにどれだけ積まれているのだろう。そういう「抜け殻」に囲まれて、何かが見えなくなっていやしないか。 ひやひやする思いで、日常を眺め直しています。