第8話/坑道で



銅山の国、鰐谷鉱山。

一筋の光もない真っ暗闇の坑道を、うさぎ、きらら、トゥラルパンたちは大学の人、鉱山の人とともに進んでいきます。

山が切り裂かれることで起きる、坑排水の被害、鉱山で働く人びとの肺の傷み。

そこで採られる錫は携帯電話やテレ・ヴィジョンといったハイテク製品に使われ、需要は増すばかりでした。

語られない痛みと、必要以上に宣伝される製品広告。



「そんなこと、あるわけないよ」と、灰色がまた微笑んでいます。




2012年夏、著者の小沢健二さんは日本のいくつかの都市を巡回する展覧会を開きました。

その中の場面にあった、鉱山の写真・山にまつられている悪魔(ティオ)の写真が、今、やっと頭の中で鮮明に像を結んで現れてきています。

今まではその写真を、どう見ていたのか…今になってよく思い返せばそれは、偽善の印象だったように思う。

小沢さんは自分を善きものとして装っている、そういうふうに見えていた気がします。どうしてだろう。

「見なくていいもの、見たくないものをわざわざ見に行って、自分を良いものに見せようとしている」と感じたのはなぜか?

きっとそれは灰色の力。現実に私もその力に影響されていることの証明だった。ただそこにあるものとして見ることができなくなっている。

もう一度見たいなあと思う。『うさぎ!』を経験したこの身で、もう一度、あの写真たちを見てみたい。今度はどう見えるだろう。きっとまったく違うように見えるだろう。


ところで私の生まれた栃木には、足尾銅山という山があります。その鉱毒の影響は今も続いているそうです。名前をお聞きになったこともあるでしょう、その鉱害と戦ったのが田中正造と言いまして、我が「くに」の英雄であります。…というのを久しぶりに思い出した。


山を切り裂き、森を切り裂き、川を切り裂いて、私たちの生活は成り立っている。

ずっと前からそうだったみたいに思うけれど、そうなったのは実はそれほど昔ではない。

すっと前からそうだったように思わされているだけ。

どうしても液晶が、ハイテク機器が、携帯電話が必要だと思わされているだけ。

そのことは忘れないでいたいと思う。

いつでも誰かが、山や森や川が、痛めつけられているということを。


灰色は人びとの心の痛みまでも利用してくる。

偽の痛みと本当の痛み。見分けることができるだろうか。


“「ティオは、人びとの、感謝を求める。尊敬を求める。崇拝を求める。ティオは、人びとがティオに捧げものをすること、ティオのために祭りをすること、ティオのために踊ること、祈りを捧げること、人々がティオのことを思うこと、ティオを畏れることを求める。」
「人びとがそうする限り、ティオは与える。惜しみなく与えてくれる。」 ”
第8話 287頁

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