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第32話 大雑誌・大新聞の記事と広告

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うさぎ、トゥラルパン、きららは広告の本当の力について話しています。 大雑誌、大新聞は、収入の大きな割合を占める広告の出稿主に気に入られるための記事を書く。 出稿主の気分がよくなる形に、読者の気持ちをつくっていく。 そうして読者は購買の意欲をかきたてられ、また、時には戦争を受容する気持ちを持たされていく……。 ✦ かつて、小沢健二さんがエッセイを連載する「オリーブ」という雑誌がありました。 ファッション記事だけでなくカルチャー記事にも力を入れた誌面は多くの女の子たちの共感を呼び、その当時「オリーブ少女」なる層をつくりだしました。(今や彼女らは「オリーブおばさん」と呼ばれていたりします……。) ファン層を固めたかに思えたあるとき、廃刊へ。一度復刊するものの、結局「オリーブ」は存続しませんでした。 あの廃刊で自分の個性までもが否定されたような気持ちになったものです。 読んでいた人が急に減った?そうではない。今回の「うさぎ!」を読むとそのあたりのからくりにも思いが至るのでした。 確かに「オリーブ」には有名ブランドの広告は、入らない。 ・・・ マスメディアが切り込まない(切り込めない)話題に、「うさぎ!」はやすやすとリーチしていきます。 それは、著者がその枠外にいるから。 枠外に出ること。著者が、あのとき日本のポップミュージック界から去ったのは、そのためとも言えるのかもしれません。 ・・・ 著者のファン層には、言葉を職業とする人が多いと聞きます。出版、マスコミ、ウェブ。それから、教職についた人も。 著者がたびたび広告をテーマに論じてきたのは、そのせいもあるのかもしれないな、と思う。 自由に振る舞っている、と思っている(思わされている)、我ら。そして、そうした職業の人たちは、比較的強い意見の力を持っているという点。 「うさぎ!」を読むと、毎回世界がひっくりかえる。 ・・・ 「新しい服を買わなくちゃ」と思っている私たち。 「戦争もしかたないよな」と思っている私たち。 本当にそう思っているんだろうか。思わされているだけなんじゃないのか? ✦『うさぎ!第32話』掲載の『子どもと昔話56号』 ✦ 目次に戻る

小沢健二さんに第一子誕生。活動の現状と今後について思う

小沢コール凜音さんにご誕生のお祝いを申し上げます。小沢健二さん、エリザベス・コールさんに無事のご出産をお祝い申し上げます。 ✦ 小沢健二さんに第一子誕生 公式サイトで7月1日、長男の名前を「凜音(りおん)」さんと名付けたことが発表されました。姓は妻のエリザベス・コールさんとの複合姓、「Ozawa Coll(小沢コール)」としたそうです。 エリザベスさんはアイルランド系アメリカ人であるお父さんとイギリス人のお母さんをお持ちで、1976年アメリカ・コネティカット州生まれ。2009年に小沢さんとご結婚されました。 ご子息のお名前は、アイルランドで使われる男子名「Rion」(ロイヤルといった意味らしい)を英語での綴りとしたそうです。また、スペイン語で「Rio」は川であり、川にゆかりのあるお二人であることも重ね合わせたということです。 また、同じ2013年6月には親友であるスチャダラパーのBOSEさんご夫婦にも女児が誕生しています。 ✦ 小沢健二さんの最近の活動 2010年5、6月、全国ツアー「ひふみよ」を行い、2012年3、4月には新宿・オペラシティで通算12夜のコンサート「東京の街が奏でる」を開催。抽選のチケットは高い人気を集めました。 また、ウェブ上および「東京の街が奏でる」においては、「ひふみよ」で演奏された全曲のライブ音源が網羅されたCD三枚組、小沢健二さんの著書「うさぎ!」単行本、エッセイ「ドゥワッチャライク」単行本等を含めた、渾身の作品集「我ら、時」を発売(現在、 値下げ価格にての販売延長中 )。ファンの熱い注目を集めました。 「東京の街が奏でる」の終演後、在住地であるニューヨークに戻った小沢さんは、2012年夏に東京や大阪、名古屋のパルコ等にてファンとのトークショー(スカイプ経由)を5回ほど開催。また、ウェブ上でライブ感想等の投稿を受け付け、本人もコメントするブログの運営も行うなど、日本にいるファンとの交流を深めました。 2012年夏から秋にかけては、交流の深い音楽アーティスト、スチャダラパーや東京スカパラダイスオーケストラ、原田郁子さんのライブ等にゲスト出演も行い、会場を大きく沸かせたということです。新しいアレンジなどがファンの間では話題になりました。 そして2012年クリスマス、公式サイトに掲載された「 妻の話 ...

第31話 現実は意思でつくられる

第31話が掲載された「子どもと昔話55号」は、2013年の参院選を前に「特集:非戦の憲法を守り、原発廃止を実現しよう」が組まれました。 その流れを汲んだかのように、今回の「うさぎ!」では憲法、軍隊、非戦、平和といったテーマが取り上げられ、また広告にも焦点が当てられています。 季刊誌を全体として受け止めたときに、さまざまな考えが浮かび、いろいろな思索を持つことにできる号です。 まだ「子どもと昔話」をお手にとられたことのない方は、これを機に55号をお手元に引き寄せてみてはいかがでしょうか。友達に借りるとか。図書館で借りるとか。 発行元へのメール発注 でもスムーズに購入することができます。(メールで発注、現物と郵便局での払込書、請求書アンド納品書が届く、郵便局でお支払い。その場合、送料150円がプラスされ、冊子が830円なのでお支払い合計は980円です。) ✦ 南国市、そしてそこから橋をわたってすぐのX島から帰ってきたきらら。 広告は言論 世の中の流れは自分の手でつくるもの 憲法、軍事力、平和 モノ・カネ・外見主義 戦うこと、立ち向かうこと。 それをおそれないこと。 ✦ 参院選がやってきます。 苦々しい思いを持つ私たちの手に、一票が握られています。 とか書くと、どうなんでしょう、「うわー政治?うっとうしー」って感じでしょうか。 吉本隆明さんの「フランシス子へ」を読んだところなのですが、書中で取り上げられていた「言葉と、それの表す実体を短絡的につなぎすぎてやしないか。疑問を持たずにうのみにしていることが多すぎないか?」というようなお話に、何だか深く共感したのでした。 いつからか私たちは、「考えること」もアウトソーシングできると考えてはいないだろうか? 「考えること」「話し合うこと」は専門家のやることだと、思わされてはいないだろうか? 意見を言うことも、反論することも。 『うさぎ!』はその「考える」を引き出すのがうまい。 憲法とは。軍事力とは。 考え続けたい。しつこく、目を見張り続けたい。 福島の事故を忘れない。 この思いを持ち続ける。いつまでもくやしいと思う。いつまでも、反省したいと思う。 こんな思いのある方、ぜひ「...

和風というカテゴリ

「古きよき日本の」といった意味合いで、「和風」という言葉が日本では使われます。 お着物の布のような、日本古来の柄や模様。食べ物で言えば、あずきやお抹茶。 アメリカで言う「native americanな」という言葉とちょっと似ているかな。 日本古来のものを「和風」というカテゴリに押し込んで、外側から冷たく眺めようとしているように思えてきたのです、『うさぎ!』を読んでから。 「日本っぽさって、いいよね。でも、もう戻れないよね。今の私たち日本人には絶対に必要なものではないよね」 というささやき。 茶道や書道、日本的な文化は「習い事」の列に押しやられているようにも思えてきたり。「習い事」として生きながらえているだけでも、もうけものなのかな。 ところで。 著者と近しい、著名な日本人作家であるよしもとばななさんは下町の出身であります。玄関には鍵などかけず、近所同士でゆたゆたと交流し合う環境。その、割と最近な「昔の日本」の空気の中で育ったお方なのですが、そのころのよさはもう日本で絶滅しかけていると感じられるそうです。 悪いところもあったけれどよいところもふんだんにあった「昔の日本」は、いまやからからになって枯れ果てる途上。 結果、「和風」なんて一見すてきそうに見えるけれど乾いた言葉の中に押し込められて、形だけ残ってるのみ。 ほんとうにそれでいいのかな? 私たち、残すべきものをなかったことにしようとしてないだろうか? こぎれいなショッピングモールに並ぶ「和風ショップ」(主に海外の方のおみやげや、「和風」を好む一部の方のためのお店)を眺めながら、うさぎくんに背中をちょんとつつかれて、そんなことを思うのでした。 ✦ 目次に戻る

「働く」を思う

著者の小沢さんは12年くらい働くのをお休みしていたと聞きます。 その間に世界のあちこちに滞在されて、『うさぎ!』の源となるさまざまな経験をされたようです。 となると12年の間、働くつまりお金を稼ぐことはしなかったけれど、その間にいろんなものを育てていたわけで、その結果時間が経ってから作品にしたり著書にしたりでお金をつくりだすことになるのだから、「働かなかった」とは言ってもその実「働いていた」のかもしれません。普通に働いていては得られないものも、得られたのかも。 そう考えて自分のことを思ってみるとここ6年くらい私は「専業主婦」という肩書きで過ごしてまいりました。(「専業」?「主婦」?不思議な言葉がふたつもつながってできている…)育児休業中、とか言うときもあります。 つまりは無収入で、子どものことを中心に、家事全般を切り盛りしてきたわけです。 「無収入ね、つまり働いてないってことね」 となるのですが、本人の自覚としては「今までにないくらい働いてる」という感覚の6年間なのでした。体を使って(なんなら体の中も使ってます、産んだりとか飲ませたりとか)、めっちゃ労働してたと感じます。 なんなんでしょうね、働くって。お金が発生しなくても、働いてるときってあるんじゃないだろうか。 もっと言えば、お金が発生する・しないはそれほど大切なことなんだろうか? でもお金がないと食べていけないし…いや、実家に寄生したらお金がなくても食べられるかも?でもそれじゃ「社会人として認められない」?え、「社会人」ってどんな人のこと? …と、疑問が深まっていくわけですが。 まあとにかく、働くって、深いですね。 この春から6年ぶりに「働く」ことになりました。 そうしたら、なんだか気がよくなって、楽しくなってきました。(まだ働いていないからこその楽観なのでしょう。) 何かして、役に立って、お金をもらって、それで自分のほしいものを買い物するのってなんてすてきなんだろう! 『うさぎ!』的には「買うことにとらわれたくない」うさぎくんたちが登場するわけなのですが、その視点も忘れずに、楽しく買い物をしようと思います。 何のお仕事をしているのですか?を英語で言うと「What do you do?」だそうです(NHK「基礎英語」より)。 「何をしているの?」「...

第30話 低関心と広告

うさぎ、トゥラルパンたちは、広告について語り合っています。 広告から文章がなくなった 説明のない、イメージだけのCM 内容のない広告を街中に散らしておく理由 一日に数千の言論を浴びせられている僕たち 低関心(広告を疑問なく受け入れる層)と広告の関係 数千の言論を無視し続けなくてはいけない状況で、私たちは? ✦ 本話を読んで、椎名誠さんの小説に『アド・バード』という作品の、荒廃した土地に広告用の鳥たちがうごめく世界が心に浮かんできました。今の世界、あそこへの途上にいる気がします。 広告。売るための言葉やイメージや動きに、私たちは囲まれています。 「本当にそうかな、それほど広告に侵略されてるってこともないんじゃないかな?テレビのCMは飛ばして見ないようにしてるし、物を買うときは自分の判断基準で選んでるし」 ・・・なんて、「自分だけ違う」と思おうとしていたけど、今や広告は「広告っぽくない形で」行われるもの。侵されていないと思っていても、広告の影響からは外れられないのだとあらためて思いました。 インターネットなどのIT技術の目覚しい進歩の様子を見ていると、広告に関係のある機器や技術だからこそ、これほど重要視されて、どんどん高度になってきている気もしてきます。家の中にある物の中で、テレビやパソコンって必要以上にできがよくないだろうか?炊飯器や洗濯機なんかに比べて。 あらゆる物に広告がくっついてくる、挟まれてくる。その中で本、単行本の広告のなさにはあらためてびっくり。(本文の中に、気づかれないように広告が入っている本もありますが。)紙媒体より電子媒体の広告のほうが、品がよくないとも思います。検索ワードなどにひもづいた電子広告の「あなたこういうの好きでしょ、ね、ね」と言わんばかりの広告の出現には、逆に気持ちが引いてしまうことが多いです。このへん、今後もっと上手になっていくんでしょうね。 そんなに買わせたいんだなあ、としんみりもします。私の、お金を出す機能にしか興味がないのだなあと。小沢牧子さんの仰る「財布の口を開け閉めするだけの生活」という言葉が、実感として湧き起こってくる瞬間です。 さて、「低関心」と「高関心」。考えてみました。私はどちらだろう? 広告にはよくつっこみを入れるほうだけど・・・でもよく考えてみると、低関心と...

ラ・ホルナダ

『うさぎ!』でおなじみの、革新的記事でいっぱいだというメキシコの新聞「ラ・ホルナダ」。 著者の奥様、エリザベス・コールさんが長く寄稿しているそうです。 そうだったのか! いろいろと話がつながって、探偵小説のようだ・・・。 奥様のお話は、 こちら 。