投稿

10月, 2012の投稿を表示しています

第29話 選挙

きららの覚え書き 【キーワード】 ウエッジ・イシュー(くさびになる話題) 国旗 選挙 大衆 プロレス 実感 【こんなようなことが書かれている(主観によるあらすじ)】 基地帝国の大統領選挙。 メディアが、大衆が話題にするのは「ウエッジ・イシュー」、対立候補の支持率を下げるための話題(国旗、同姓婚等)。 きまって「バカ」とされる大衆は、実はそれほどバカではない。 大衆の信じる力で熱く盛り上がるプロレスのように、選挙で盛り上がれないのはなぜか。それはそこに実感がないからだ。 その実感を、灰色の都合のよい形で感じさせるために使われるのが「ウエッジ・イシュー」。灰色に害のない小さな話題で大衆たちを満足させることができる。 そして人びとはささやかな話題で敵と味方にわかたれる。 ✦ きららさんへ 覚え書きを読みました。オバーマ氏の再選が決まりましたね。 一番うなずいた点は「投げてよこされたごみを使って住み処をつくる、そしてごみの中で眠る」という部分でした。 私たちにはたいした材料は与えられないけど、私たちは工夫をして「楽しい我が家」をこさえます。少しずつ足したり引いたりしながら。夢見ながら。 私は信じている。私の信じているものが、みんなの信じる力で飛ばされるものであるべきことを。 それでも無力感はどこにだって満ちています。私のいる小さな場所、いちいちどこにでも無力感がつきまとう。 「自分にはできることがない」「自分は卑小な存在だ」・・・それは誰かからの指令。どうにかそれをはねのけたくて、私は私の小さな場所で、いちいち手を挙げ続けています。 そこにいるのに、いないことにされる。愛があるのに、ないと決めつけられる。そういうことに、いちいちつっかかっていく。ささやかな戦いです。でもささやかな戦いにすら参加しなくなったら、私の居場所はますますなくなっていきます。 どうしてプロ野球には熱中できるのに、世の中のことには熱中できないのか・・・ずうっと前に小沢さんが問いかけた問題に対する答えがこの覚え書きには書かれていると思いました。 でも確かにまだ、ここ絵本の国でだってこの手で世の中を押して動かすことはできる。たとえば原発政策のパブリックコメント。No Nukesの音楽イベントのパワーも本当にすごかったん

第28話 白人優越主義

書き手:トゥラルパン コンサート「東京の街が奏でる」の最後の場面 ラブロン・ジェイムスの移籍に対するメディア批判(2010年) 髪の毛、バービー人形 メディアでリピートされることで意味が変わってくる 人種主義と企業主義という二つの大きな仕組み ✦ マイアミ・ヒートは2011年-2012年期のNBAファイナルで優勝を果たした。ファイナルMVPはレブロン・ジェームズ。 私たちはいつでも位置づけられている。仕組みから、社会から、周りから。 そのことを意識していたいと思う。 髪の毛のこと。日本の女性は、生まれつきは黒髪である人が多い。太くて直毛の髪を持つ人が多い。くるくるっとしたカールがついている人が少数いる。うねるような癖を持つ人もいる。 美容院に行くと、カラーやパーマをして、茶色にしたりカールをつけたりする人が多い。特にカラーは一般的で、薬剤を買ってきて自宅で染める人も多い。髪の毛が伸びてくると、根元だけ黒くなって目立つ。カラーやパーマを繰り返すことで髪は傷む。 黒い髪はおしゃれじゃない、という意識は今も根強いと思う。「見た目に重苦しいし、軽さが出ない」そうだ。 「重苦しい」か。 服装もそうだし、メイクもそうだし、いろんな分野で洋式化されてしまっているから、髪型だけ和式にするわけにはいかないという感じだ。 和服にして、和服に合うヘアメイクをすればいいのだけど。それをしたら周囲になじめなくなる。 日本人であることで、周りは私をどう位置づけるだろう。「賢い消費者」として?「理想的なフォロワー」として? 個人の意識はまったく自由だが、それとは独立して、周りからの意味づけも必ず存在する。 「こう振る舞いなさい」「こうありなさい」「そんなことを考えてはいけません」・・・あらゆる時に、一斉に鳴り出す、警告音のように。 それに従うふりをする。時に、聞こえないふりを、してみる。 ✦ 目次に戻る

基地帝国新聞を読む

(随時更新) 11月18日「中国の新リーダー」 中国はアメリカが強化しようとしているアジアでの動きに不快感を持っている(resent)。 新しい指導部は日本他との領土に関する衝突(collapse)を避ける(defuse)よう努力(devote)すべき。 11月16日「ガザへの攻撃」 ガザからの攻撃は対象が無差別であり、非難に値する。 攻撃の理由は「ハマスにある」。 11月15日「日本の衆議院解散について」 右寄りの体制になることに対する危惧。 その傾向が強まれば日本は孤立していくだろう。

灰色とは?

『うさぎ!』の全編に流れる「灰色」との戦いというテーマ。 「灰色」について少し考えてみる。 「金というのは奇妙なものだ」と彼は続けた。「まとまった額になると、金は一人歩きを始める。自らの良心さえ持つようになる。金の力を制御するのは大変にむずかしくなる。人は昔からいつも金で動かされる動物だった。人口の増加や、巨額の戦費や、日増しに重く厳しくなっていく徴税――そういうもののおかげで 人はますます金で左右されるようになっていった。世間の平均的な人間は疲弊し、怯えている。そして疲弊し怯えた人間には、理想を抱く余裕などない。家族のために食糧を手に入れることで手一杯だ。(…)  レイモンド・チャンドラー著『ロング・グッドバイ』 金というのは奇妙なものだ。金は一人歩きを始める。…これは古い小説の中でかなりのワルでタフなボス立場の男が語る一節である。 この感じ、これがすごく灰色と近いのではないかと思っている。 灰色=金(かね)だとは単純に言えないのだが、すべてのほころびはここから始まっていると、『うさぎ!』の著者もとらえているように思う。 金は不平等をつくりだし、差別を、戦争を、あやまちを、たくらみを、ずる賢さを、罠を、裏切りを、「富」を、「貧しさ」を、…いろいろなものをつくりだしてきた。 そして私たちは金の支配力がどんどんと増強し続けた先の世界に住んでいる。 灰色は人びとをコントロールして、考え方をねじまげ、考えることをやめさせ、思うことや希望することを奪い取りながら大きくなってきた。そして今も大きくなっていっている。 灰色に取り入る小判鮫のような人たち(『うさぎ!』で言う「灰色の手下たち」)は、拾われては捨てられ、代替わりをしながら少しずつ数を増している。  『うさぎ!』はこの大きな力に対抗しようとする。 どんなふうに?まずは気づくことで。そして考えることを始めることで。 私たちは気づくことも灰色に奪われている。それを『うさぎ!』が初めて教えてくれたことだった。 物を買わされ続けている私たち。都合の悪い汚染について目が行かないようにコントロールされている私たち。白人優越主義に気づかないように仕向けられながら差別を当たり前のものとして受け入れさせられている私たち。 気づい

小説というより手紙として

『うさぎ!』という物語を小説や童話のような分類に当てはめようとするとき、首をひねることになる。 小説というよりは論文、童話というよりは寓話。書簡体小説に少し近い? 著者はファンの一人として見て、作品にとても凝る人だと思う。彼のつくる歌もコンサートもCDなどの作品も精密につくり込まれていると思う。 そういう人が『うさぎ!』を書こうとし、連載を重ねるうち書簡のような論文のような形に落ち着いていったのは、たぶん仕上がりの早さを重要視したのだと思う。 今、伝えなくては、と急いでいた(急いでいる)。 それも、主に、彼と何らかの縁のある、日本人に対して。 そこにある緊急の信号を見てとったとき、このお話の存在感はもっと増してくる。 今私たちが受け取るべき、緊急の信号。 それが今の私たち読者の生活にじかに影響を与えてくる。 著者はその覚悟を確かに固めている。 ✦ 目次に戻る   

うさぎ!特別篇(装苑) 痛みとしてのファッション

「もうそれ持ってる」と言えないアイテムを売り出す戦略 同じ服装をすることで生まれる仲間意識 ファッションの「生け贄」の機能 ボディーランゲージとしてのファッション ✦ ぼたんのことを考えていました。 服につけるボタン。作品集「我ら、時」に入っていた白蝶貝の白いやつ。 装苑においては、痛みとしてのファッション、という文脈は、お金はないのだけど、しかもどこかで「無駄な」ことだと分かってはいるのだけど、ボリビアのチョリータさんたちは毎年その年の流行の色・形のボウラーハットを買う、そこにはファッションの生け贄としての機能があるのだろうと。神に捧げることに似た。 絵本語では、自分のお金で払うことを「自腹を切る」と表現することがあります。自(self)腹(stomach)を切る(cut)、で、身を切るって感じです。 身を切ってでも身に着ける、その年の色と形。仲間とともにそれを着るということ。 「ファッションの本場」発でない流行。 私の友だちにものすごく服がすきでこだわって着ている人がいまして、彼女の装いを見ていると、もうそれだけで何かを表現しているというか。彼女なりのルールやしきたりがあって、それに外れたものは身に着けない。そのりりしさ。 いろんな服がたくさん売っている絵本の国で、服装を考えることは、けっこう重いテーマだったりします。特に女性にとっては。 着ることで、外に向けての表現もできるのだけど、内に向かう効果、着ている自分自身に返ってくる効果も見逃せません。 服が自分の気持ちに働きかけてくるということ。きりっとした気持ち、ほっとする気持ち、応援する気持ち。誰に向けてのものでもない、自分に向けての表現。見えないおしゃれとか言いますし。 すきなアーティストのつくったTシャツを着ていると、日常にちょっとだけその色が溶け出したりする。 痛いのだけど、どう考えても届かないのだけど、祈るような気持ち。 そういうわけで、白蝶貝のぼたんを、夏用の麻のドレスからほどき、秋のワンピースにつけかえようと思います。胸の痛みは消えないけれど。 ✦ 目次に戻る  

泡について

もこもこと立つ泡。 いろんな洗剤が立てる泡。 日本人は洗うことがすきだと言う。 女性のお肌のお手入れにしても、朝に泡洗顔、夜にクレンジング(化粧落とし)と泡洗顔、がふつう。 ところで石けんの泡は、汚れに出会うと減る。汚れを落とすには、汚れの程度に見合った泡が立つ石けん量を見極めなくてはいけない。 しかし合成洗剤の中には、泡がなかなか消えないものが多い。汚れに出会っても、泡はそれほど減らない。 もくもくの泡は、きれいにしてくれる気がする。汚れの上を覆って、汚れを見せなくする。 そして水で洗い流せば、きれいになった気分になれる。 でも、よく見ると、落ちていない汚れが残っていることもある。 歯医者さんに行って、歯みがき粉を使わずに歯みがきするように指導されたことがある。 あの泡ぶくぶくで歯みがきすると、泡で汚れが見えなくなるし、たいしてブラッシングしなくてもみがいた気になってしまうのだそうだ。 そういうことを、『うさぎ!』を読んで思い出した。 世の中にも泡ぶくぶくのきれいなイメージで汚れを見ないようにしているところが、たくさんあるな、と思ったのだ。 汚れを隠して、「洗った」気分だけを盛り上げる。 残った汚れは、「新製品で落としましょう!」、ですか。 きれいなイメージには気をつけたい。 ✦ 目次に戻る

小沢牧子さんの『「心の専門家」はいらない』を読みました

思い出されるのは、よしもとばななさんの公式サイトに以前あった、Q&Aのページのこと。 読者からの質問によしもとさんが答えるというものなのですが、なぜか、多くの投稿が人生相談になってしまうのでした。 いろいろなものが見えるよしもとさんに、人生のアドバイスをもらいたい…多くの人、特に女性がそう思っているのが表れていて、興味深く思ったものでした。 みんな自分の話を聞いてもらいたがっている。糸口を探してる、本気で。 その相手に著名な作家を選んでしまう、その状況。 それから、登校拒否について。 幼稚園を休むことを悪とする考えが自分にもあったことに気づきました。(長男が幼稚園に通っています。) 行かないのは悪で、行くのが善・当たり前。 それほど体調が悪くないのに、彼が「休みたい」と言うことが数日ありました。はっきりとは言わないけど、きっと苦手な運動会が原因で。 先生からは、「クラスでは元気で楽しそうなので、今度そういうことがあったら、連れてきてしまってはどうか。園に来てしまえば、友だちの手前ぐずぐずできないので、すんなり登園するのではないか」との助言。 確かに力ずくで連れて行ってしまえば楽なのだけど。 そうして休んだ一日、私の気持ちがもやもやしてしまう。 でもはっきりと親からは見えなくても、行きたくない原因は必ずある。「なんとなく」とか言ってるけど、本人にも分かっている。 それを話し合えるような関係でありたいと思う。 身近な縁にも気づいていきたい。 一見心地のいい言葉に気をつけたい。心理学の言う「カウンセリング」に内在する、管理の意図。どんなにカウンセラーがいい人だろうが関係なく、その管理の企みが実践されていくこと。 「専門家」にある危険性にも。 ✦ 目次に戻る  

うさぎさんへ 『セラピー的な』読みました

はじめまして。 ここ一ヶ月ほど、うさぎさんたちのお話や記事を読んでいます。 『企業的な社会、セラピー的な社会』を読みました。 絵本の国では、けっこう多くの人が、セラピーではなく占いに行くのを知ってますか? 東京の有名な街々には、その街の代表的な占い師さんがいたりするんですよ。あ、小沢さんが東京にいらした頃にもそうだったと思うので、聞いているかもしれませんね。不安や痛みを抱えた人たちが、こっそりと行くようですよ。 上から監視される状況に最終的にはめ込まれる、とか、上下関係がないという建前の元にある上下関係とか、読んでいてはっとするところが多かったです。 そうそう、燃費って言葉は知っていますか。 車の広告に必ず載る言葉。ガソリン一リットルで何キロ走れるかを示す言葉です。燃費がいい、燃費が悪い、というふうに使われて、車の性能を示す指標の中でも重要視されています。 この燃費、長い距離を走ると、いい数値が出るんですよ。近距離の移動を繰り返すと、どんどん燃費が悪くなっていくんです。おもしろいでしょう? 「不適切な希望」のところを読んで、どうしても思い浮かべてしまったのが、私にとって身近なある集まりのことでした。 「平等に何でも話してください」という看板があるのですが、指される人が決まっていたり、指されない人が決まっていたりするようなんです。 どうやら主催側にとって「不適切な希望」を持った人の意見は、なかったことにされてしまうらしい。私も最近はめっきり指されません。 ささいなことなんですが、そういうのを目にして、最近は「あまり期待をするのはやめよう」と思っていた矢先に、『セラピー的』を読んだので驚きました。 なので、これからは、希望を大きく持とうと思います。 私の長男もサンドイッチが大好きです。この前、めったにないお弁当の日にサンドイッチを持たせたら、誇らしげに帰ってきました。 またうさぎさんたちのお話を楽しみにしています。 追記 セルフ・エスティームは、絵本語だと自己肯定、自己尊重、自尊心などと訳されているようです。 私の中学校の卒業式で、校長さんが「自己実現」と言っていましたが、この言葉も近いですね。 いい印象をまとった言葉です。小沢牧子さんの『心の専門家はいらない』も読んでみます。小沢さんは『