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子どもと昔話64(うさぎ!39話在中)を読みました

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2015年夏号の「子どもと昔話64」。 2015年7月中旬に、ポストに届いていました(定期購読中)。 中には本誌と、郵便局の振込用紙。購読を開始してから1年経ち、継続の払い込みの時期になっていました。 生の歴史、ガラスの中の歴史 届いて、まず読んだのがエリザベス・コールさんのフォトエッセイ。 ラオスに残る爆撃現場の瓦礫。ガラス棚に陳列されていない、生きた歴史を切り取った写真です。ガラスの展示の中や、教科書の文章の中だけに「正しい歴史」があるという、私たちの認識への問いでした。 それから、下河辺牧子さんの「老いの場所から」。家事、「良か仕事」についての文章でした。家事労働を担う身に染みるお話でした。 そのあと編集長の「日本を見つめる」を読みました。そして、世界の日本の昔話の内容を確認し、「うさぎ!」を読み、今に至っています。いまだ読書中…。 DIYについての講義 今回の「うさぎ!」には、うさぎくんがメインで出てきます。特別好きな登場人物です。 「DIY」についての、うさぎくんからの講義が展開されていきます。 日頃、自分の服や子どもの服などを、ミシン(ブラザー製)で縫っている私にとっては、「そうなんですよね!」と強く頷ける内容でした。 手づくりすることで得られる結果。 椅子をつくることで開ける、新しい世界。 手づくり、DIYは、身近ながらかなり強く、手応えのある、抵抗手段のひとつである気がしてきました。これからも積極的に続けていきたいと思います。

小沢健二の『うさぎ!』とは?

小沢健二さんと言えば、1990年代に「渋谷系の王子様」として人気を博した、日本のシンガーソングライター。1994年のセカンドアルバム『LIFE』が大ヒットしたことは、2015年現在の30代、40代の多くの記憶に残るところではないでしょうか。 紅白でも歌われた『ラブリー』や、スチャダラパーとコラボレートした『今夜はブギー・バック』といった楽曲は、多くの日本人にとって懐かしい「大衆音楽」であるはず。 また、世界的に有名な指揮者の小澤征爾さんが彼の叔父さんであることは、周知の事実であることでしょう。 2010年には全国ツアー『ひふみよ』、2012年には東京オペラシティでコンサート『東京の街が奏でる』を公演。同2012年には『ひふみよ』のライブ音源CDや近著などを綴じた、作品集『我ら、時』をリリースしました。 2015年現在、小沢健二さんはニューヨーク・マンハッタンに、奥さまのエリザベス・コールさん、息子さんの凜音さんとともにお住まいであると風の噂に聞いています。 さて、そんな小沢健二さんは、現在も日本の雑誌等に寄稿するなど、日本語での文筆活動を続けています。なかでも、季刊『子どもと昔話』に連載中の寓話『うさぎ!』には、原子力政策に関する文章や、日本とアメリカの関係を模した「絵本の国」と「基地帝国」との関わりを論じた文章など、興味深い記事が登場。「うさぎ!」を読む会が日本各地で開かれるなど、小沢健二ファン以外も魅了する小説となっています。 小説『うさぎ!』には「うさぎ」という男の子が登場します。友だちには「きらら」「トゥラルパン」という女の子。鋭い観察眼を持った彼らは、「隠された事実」にその手で触れ、その皮を引き剥がしていきます。 様々な気づきを与えてくれる『うさぎ!』。著者の小沢健二さんはどこかの記事で「ずっと続けたい」とおっしゃっていました。「100年、200年後に、『ああ、こんな人がいたんだな』と思ってもらえたら」ともおっしゃっていたような。そんな気持ちで執筆されているようです。 『うさぎ!』に興味を持たれた方へ。小沢健二さんのお父さんである、小澤俊夫さんが設立した「小澤昔ばなし研究所」が発行する季刊『子どもと昔話』は、メールオーダーや定期購読、ホホホ座などの一部書店で手に取ることができます。

第38話(『子どもと昔話』2015年春号)を読んで

2015年の4月中旬に届いた、『子どもと昔話』2015年春号。 連載『うさぎ!』は第38話が掲載されています。 また、『「うさぎ!」を読む会の報告2』として、大阪ココルームの読書会の方々からの寄稿文も。 私は『子どもと昔話』が届いたら、まずは、巻末の小澤編集長の「日本を見つめる」を読みます。今回は、特別に転載された元ドイツ大統領の演説(過去に目を閉ざす者は、現在にも目を閉ざすことになる)に特に感銘を受けました。その後、下河辺さんの「老いの場所から」を読み、その後に『うさぎ!』関連を読んだり、エリザベスさんのフォトエッセイを見たりします。 「今回はどんな昔話が入っているかな?」という点も、お楽しみのひとつです。 さて今回、『うさぎ!』を読んで、「文化や歴史などの文脈から切り離された、ものやこと」についていろいろ考えていました。 例えばですが、この前見てきた、地元のおまつり「大垣まつり」。 13のやま(「車山」というのをぎゅっとくっつけた「 軕」という字が当てられます)が、市内の門前町をくまなく巡るという祭礼行事です。300年以上続いているおまつりだそうです。 町ごとに、代々受け継いできた「やま」を、その町の構成員が引き回します。(お酒を飲みながら…。) 巡るルートは、一年ごとに東回り、西回りと変わります。その道筋は決まっていて、変えることはできません。そのルートの中には、「10メートルほどで行き止まりなんだけど、必ず行って戻らなくちゃいけない」という箇所もあります。なんという美しい無駄。 これを「日本のおまつり」として、海外に輸出したらどうなるか。構成員にもルートにも制限を設けず、ただ形だけ「やま」を引き回す…そうしたら、その場では、この文化の美しさはほぼ消えてしまうことでしょう。 そういうようなこと、レリゴーもメイソン・ジャーと同じようなことが、身の回りにどれだけ積まれているのだろう。そういう「抜け殻」に囲まれて、何かが見えなくなっていやしないか。 ひやひやする思いで、日常を眺め直しています。

作品の前でパフォーマンスすること

先日、世田谷文学館で小沢健二さんが演奏をされたそうです。 岡崎さんの作品の前で演奏をするのは、普通の演奏とは違う、特別な意味があることだと思います。 「普通の」というのは、お客さんに向かっての演奏、という意味で、聞きたくて聞きに来た人に演奏を披露するのとは、こめられている意味がちょっと、だいぶ、違うように思います。 ツイッターでも書きましたが、以前、NHKで画家のフランシス・ベーコンさんの展覧会の会場で、ダンサーの田中さんが踊りを披露するイベントの前後を記録したドキュメンタリー(記録映像)番組を見たんですね。 田中さんは、フランシス・ベーコンさんの作品や、彼の生い立ちを見つめ、ゆかりの地を訪ね、彼に近しかった人たちと話し合い、少しずつ彼のことを咀嚼していきました。 作品も作者のことも咀嚼をして、そのうえで、彼の作品の前でパフォーマンスする。お客さんも大勢いましたが、そのダンスは、作品の一部となって、作品以上に生々しく、熱を持った生き物として現在に生まれ出てきました。その様子は、映像からでも、強く伝わってきました。 「こういう表現もあるんだなあ」と、感動したのですが、そのことを、今回の演奏の様子を人伝えに聞いて(読んで)はっきり思い出しました。 その演奏は作品の一部として、その瞬間、生きていたと思います。 岡崎さんと、離れず同じ場所にいる(精神的に)、小沢さんだから、媒体になれたんだろうなあと思います。岡崎さんの作品を、「生き物にする」パフォーマンス。 田中さんが番組で言っていて印象的だったのが、踊りのあとに、「作品がみんな、こちらを見ていた。それを感じて、身が引き締まった。へたなことはできないと思った」というようなことをおっしゃっていたこと。その場で、作品や作者と、本当に立ち向かって、同志として(賛同者という意味じゃなく…)その場にもう一つの芸術作品をつくりだそうとするその試みには、考えられないくらいの覚悟が必要なんだろうなあと感じました。 そういう感じで、そうとうの覚悟が必要だったんじゃないかなあ、と想像して、単純に「よかったな」と思っています。「そういうのができて、よかったなあ」と。 小さい会場で、パニックも予想できて、それでも「生き物にする」のをやってみたかったんじゃないかな、とぼんやり思っています。 その作品に...

第37話を読書中

62号の巻頭の写真エッセイ(エリザベス・コール)は「新しい川」との題。息子さんの目線に立って撮ったと感じる美しい写真が目を引きます。色彩豊かで、はっとするようなエリザベスさんの世界観が印象的です。 今回の「うさぎ!」、とても興味深かったです。ストンと心と頭に入ってきました。日常でもその考え方がよく心によぎります。 うさぎを読むと、まるでなにかのリハビリをしているみたいな気分になります。「ここも動かなくなってた」「ここも見てなかった」「知らなかったということを知らなかった」という発見がいっぱいです。季節ごとにこれを繰り返せるのが楽しいです。

戦後の絵本の国のこと

数号前から61号まで、深く考察された「戦後の絵本の国のこと」。 ドル・ギャップという言葉に集約できる、その現象を、おぼろげながら、少しだけ把握できたように感じています。 とは言っても、どれもが「初めて聞く話」。すっとは理解することができません。 文章を読んでいても、意味が入ってこなくて、何度も2、3行前に視線を戻す必要がありました。 敗戦した絵本の国が復興できた本当の理由。 あたかも「自然な流れ」でいつのまにかできあがっていたように感じさせられていたそれが、確固とした意思でつくられたものであったということ。 意思で現実を変える。権力者はみなそれをしていると、作者は表現します。 もちろん私にも変えることができる。 一人の力は小さいけど、それでも、変えることはできる。 よしもとばななさんの講演でも同じことが言われました。 「一人の力はとても小さいと、意味がないと、思わされている。  でも、一人の力は実はすごく大きい。  実はすごい影響力を持っている」のだと。 だから一人一人が、それぞれ、少しずつでも変えようと。今の世の中がおかしいなら、自分たちの一つ一つの手で変えようと。 小さなことでかまわないから。 それを信じることができないように、あらゆるものが考えを曲げようとしてきます。 それは、きっと、一人一人の力がこわいからに違いないです。 勤勉で手先が器用で、まじめでひたむきな絵本の国のご先祖様。その素質を持っている私。 小さなことを、積み重ねていきたいなと思います。

第36話を読書中

『子どもと昔話』の、2014年の秋号が手元に届きました。 巻頭のエリザベス・コールさんの連載では、 ozkn.netで注目された写真家さんの作品が掲載されています。 連載『うさぎ!』の後ろには、 「うさぎ!を読む会の報告」という新しい連載が始まりました。 今回は、気流舎さんが寄稿されています。 楽しみにしている、牧子さんのエッセイに、 日本含め世界各国の昔話。 (夜な夜な、子どもたちに読み聞かせしています。) 小澤先生の、日本についてのエッセイ。 若い日の記録、 昔話の文法を解説したコーナーなど・・・。 時間をかけて読んでしまう読み物が入っています。 今回の『うさぎ!』では、 以前の号の「ドル・ギャップ問題」、 戦後の絵本の国の復興の裏側について 考察がさらに深く進められています。 私の心の中には、今 「世界は、どうにでも発展できた」 そして 「世界は、どうにでも発展できる」 という、『我ら、時』にも表現されている考え方が、 ぽかっと浮かんでいます。 絵本の国のご先祖様のことを 思ったりしています。 ✦ 追記(10月22日) 川に冷やされたラムネを撮影され、インタビューが掲載された 西山春希さん 。 ご自身のタンブラー をご紹介くださいました。