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第37話を読書中

62号の巻頭の写真エッセイ(エリザベス・コール)は「新しい川」との題。息子さんの目線に立って撮ったと感じる美しい写真が目を引きます。色彩豊かで、はっとするようなエリザベスさんの世界観が印象的です。 今回の「うさぎ!」、とても興味深かったです。ストンと心と頭に入ってきました。日常でもその考え方がよく心によぎります。 うさぎを読むと、まるでなにかのリハビリをしているみたいな気分になります。「ここも動かなくなってた」「ここも見てなかった」「知らなかったということを知らなかった」という発見がいっぱいです。季節ごとにこれを繰り返せるのが楽しいです。

戦後の絵本の国のこと

数号前から61号まで、深く考察された「戦後の絵本の国のこと」。 ドル・ギャップという言葉に集約できる、その現象を、おぼろげながら、少しだけ把握できたように感じています。 とは言っても、どれもが「初めて聞く話」。すっとは理解することができません。 文章を読んでいても、意味が入ってこなくて、何度も2、3行前に視線を戻す必要がありました。 敗戦した絵本の国が復興できた本当の理由。 あたかも「自然な流れ」でいつのまにかできあがっていたように感じさせられていたそれが、確固とした意思でつくられたものであったということ。 意思で現実を変える。権力者はみなそれをしていると、作者は表現します。 もちろん私にも変えることができる。 一人の力は小さいけど、それでも、変えることはできる。 よしもとばななさんの講演でも同じことが言われました。 「一人の力はとても小さいと、意味がないと、思わされている。  でも、一人の力は実はすごく大きい。  実はすごい影響力を持っている」のだと。 だから一人一人が、それぞれ、少しずつでも変えようと。今の世の中がおかしいなら、自分たちの一つ一つの手で変えようと。 小さなことでかまわないから。 それを信じることができないように、あらゆるものが考えを曲げようとしてきます。 それは、きっと、一人一人の力がこわいからに違いないです。 勤勉で手先が器用で、まじめでひたむきな絵本の国のご先祖様。その素質を持っている私。 小さなことを、積み重ねていきたいなと思います。

第36話を読書中

『子どもと昔話』の、2014年の秋号が手元に届きました。 巻頭のエリザベス・コールさんの連載では、 ozkn.netで注目された写真家さんの作品が掲載されています。 連載『うさぎ!』の後ろには、 「うさぎ!を読む会の報告」という新しい連載が始まりました。 今回は、気流舎さんが寄稿されています。 楽しみにしている、牧子さんのエッセイに、 日本含め世界各国の昔話。 (夜な夜な、子どもたちに読み聞かせしています。) 小澤先生の、日本についてのエッセイ。 若い日の記録、 昔話の文法を解説したコーナーなど・・・。 時間をかけて読んでしまう読み物が入っています。 今回の『うさぎ!』では、 以前の号の「ドル・ギャップ問題」、 戦後の絵本の国の復興の裏側について 考察がさらに深く進められています。 私の心の中には、今 「世界は、どうにでも発展できた」 そして 「世界は、どうにでも発展できる」 という、『我ら、時』にも表現されている考え方が、 ぽかっと浮かんでいます。 絵本の国のご先祖様のことを 思ったりしています。 ✦ 追記(10月22日) 川に冷やされたラムネを撮影され、インタビューが掲載された 西山春希さん 。 ご自身のタンブラー をご紹介くださいました。

昔話へのご招待

小澤先生の、ラジオ番組。 タブレットで聴きました。 インドネシアの昔話の回 でした。 ◇ 世界中の昔話に、 共通する文法がある。 極端な状況の出現、 同じ言葉の繰り返し、 シーンの進み方のシンプルさなど。 そして、 いろんな国で、同じようなテーマの昔話が、 共存しているということ。 日本にも、同じような話がある。 口承ならではの特徴は、 国境や民族の境に 遮られることがない。 ◇ 動物の鳴き声が、 国によって、 異なる言葉でとらえられること。 例えば、今回の昔話に出てきた、にわとりの鳴き声も 国によってとらえ方が異なる。 日本では、コケコッコー。 これにまつわり、 子どもが小さかった頃の思い出。 ドイツに家族で渡ったばかりの頃、 下の子(3歳)は、ドイツ語が話せず 不安な気持ちでいた。 家族で散歩をしていると、 にわとりが鳴いた。 すると、3歳の次男は 「にわとりは、日本語で鳴いてら」と。 確かに日本語を話す私たちには、 「コケコッコー」と聞こえた。 子どもは少々安堵した様子。 親はおかしくて笑った。 そのことが、すごく心に残っている、と小澤先生。

NYCのこと POPEYEを読んで

マガジンハウスの『POPEYE』ニューヨーク特集を読みました。 いろいろな場所から、いろいろな人がやってくる場所、ニューヨーク。 長年NYCに住んできた小沢健二さんが、車の運転席から見渡した街の景色・・・。街の懐の深さが、よく見えてきます。 「お互い様」 そこには、大都市の冷たい感触だけではなく、日本語で言う「お互い様」の精神に似た生あたたかさを感じました。 undocumented peeple、書類を持たない多数の人たちと混じり合う生活の中で、距離を見計らいながら、お互いを認め合っている印象。日本の地方に息づく、小さな班の連帯感とはまた別の、共同意識が根付いているんだなあ、と感じました。 よくsalad bowl、と形容される大都市の風景は、単語だけでは想像がつきません。NYCのようなトップレベルの大都市にも、やはり血が流れているんだ、と感じさせられました。どくどくと。呼吸して、血が流れて、新陳代謝があり、生きていく街。 「NYCを自家用車で走り回ってみよう」なんて野望、抱くことすら無理な私。そこからの景色を垣間見ることができて、おもしろかった。 同時に、「日本の、地方で、戸籍を持ち、子どもを持ち、自営業をして、自家用車に乗り・・・」そんな自分の生活も、どこか外から見たら相当貴重だ、とも思いました。

超LIFEを観て

スペースシャワーの特集『超LIFE』を観ました。 制作の裏側を見ることができて、うれしかったです。練られて練られて、できあがったものだったことがうれしかったです。 小沢健二さんの音楽や文章に出会った高校時代、その後、「もう戻ってこないのかな」と思い続けた長い期間を過ごし、今また『うさぎ!』やコンサートで作品に触れることができてうれしいです。 耳について離れることのない『LIFE』。このCDと一緒にいろんなシーンを越えてきました。 勇気をくれたり涙をまぎらわせてくれたり、料理や仕事や運転のBGMになってくれたり。幸せをもっと幸せと感じさせてくれたり。近年は子どものお気に入りとしても活躍中です。 間違いなく一番聴いたCDだし、これからも聴き続けます。 空気のように、祝福のシャワーのように、オルゴールのように、私の人生の中で響き続くLIFE。 ありがとう。 力を、憩いを、ハッピーをたくさんくれて、ありがとう。

第35話 戦後の再デザイン

戦後の絵本の国と基地帝国の関係について紐解いた第34話に続き、基地帝国による戦後の世界の再デザインが考察されていきます。 本話は、四面楚歌であった戦後の絵本の国を、基地帝国がどう利用していったか。ドル札の使い手として、絵本の国を育て上げていったいきさつを追っています。 特に印象に残ったのが「魔法の杖」。その言葉さえ振りかざせば、人が、世界が服従する魔法のキャッチフレーズ。それが、いつの時代にも、都合のいい「敵」をつくりだし、人々をある方向へ向かって駆り立てるという点でした。 確かにニュースを見ても新聞を見ても、そんなキャッチフレーズが見つけられるように思います。歴史の教科書にも。 絵本の国は、ある時期まで、戦後「おもちゃと陶器だけ」生産することを許された、そんな国になりそうだった…。こんな話、今まで聞いたことがありませんでした。 見ようとしても見えない、裏側の本当の話。それを暴いてくれる『うさぎ!』は、稀有な存在のフィクションだとあらためて思いました。