第27話/スチャダラパーの三人が『うさぎ!』をめぐって語る

この回はお話ではなく、著者の古くからの友だちであるスチャダラパーの三人が、『うさぎ!』を読んで心に浮かんだことを文章にするという回。

第17話、対抗、対対抗を用意するブランド戦略

第13話、国歌

第1話、「どうにもならないことは、どうでもいいんだよ。」

それぞれのお題に対して、三人の自由な意見が飛び交う。



頭のいい友達でテレビが好きな人がいて、その人がどんなテレビ番組をおもしろいと思うかを見ていると、おもしろい。

ニュース、討論番組、お笑いあたりは普通なのだけど、その中で最近特に気に入っているのは「ほこたて」という番組だそうで。

これは企業や達人(?)が他分野のそれぞれの長所を持ち寄ってどっちが勝つかを競うという番組で、例えば私が覚えているのでは、ユリ・ゲラーさんと史上最高に硬いスプーンをつくる企業が戦っていた。

鷹を操る達人と、最速のラジコン、とか。この前では、最先端の本人認証機器と本人にそっくりな顔面マスクをつくる企業、とか。

日本の企業の意地のぶつけ合い。日本ならではの匠意識。一人の匠が、他の匠に挑み、白黒をつけ、お互いを尊敬し合う。

確かに何か、いい匂いがする。さすがに鼻が利くなあ、と感心して聞いていた。



そんなふうにおもしろいと感じる番組というのはそうそうないらしい。

で、おもしろいと思っている番組ほど、廃れていくものらしい。おもしろい深夜の番組がもう少し早い時間帯(ゴールデンタイムという)に変えられてしまい、骨抜きになっておもしろくなくなる、ということも多いらしい。

最初は「おもしろいものをつくろう!」という意思から始まったものが、外からの力によっていじられて変えられて、へこんでしまう。ありそうなことだ。


ゲームとか、テレビとか、人によって仕掛けられた遊びはどんどん細かくなって、 間がなくなって、つきつめられて、速くなって、息苦しくなっていく、その感じを、スチャダラパーの三人も指摘している。

そして、小さな企業は大きな企業に買われて、同じ会社名で一色になっていく。

どこの服のタグを見ても、同じ会社名が小さく刻印されていたりする。化粧品も。食品も。


それから基地のこと、原発のこと。

「大丈夫、日本人は飼い慣らせる」って思われている気がする。他の国から。灰色から。

こんなんじゃなかったと思うんだけどなあ。


日本国歌もだけど、日本語も、思い出させてくれる。『うさぎ!』風に言うと、かつての「虹のような」暮らしを。

例えば、おにぎりってあるでしょう、ごはんの中に具が入ってて、のりで巻いてある食べ物。おむすびとも言う。英語では「rice ball」っていうのかな。

おにぎりは今の日本でも子どものお弁当に欠かせない存在で、アメリカでのサンドイッチと似ているのかな。アメリカでは子どものお弁当はサンドイッチが多いって聞いた。

それで、おにぎりと言えば家でつくるものばかりじゃなくて、工場で大量生産されてコンビニ(コンビニエンス・ストア)で売られているわけです。(いろんな薬を混ぜられつつ。)

で、そこまでくると、もう実態が日本語から離れてしまっているんですよ。だって、コンビニのおにぎりって、ひとつも「にぎって」ないし、「むすんで」もない。工場でがっちゃんがっちゃんと、「製造」されてしまってるのだから。

もしかするといつか、「おにぎりって、なんでオニギリって言うんだろうね?」と不思議に思う時代がやってくるかもしれない。

そう思うと、日本語には力があるな、とも思う。今なら、まだある。

元々のあり方と、遠く隔たれてしまった今のあり方、その違いを告発してくれてると思う。

「コンビニに並んだオニギリ、おかしいよ」って。


「どうにもならないことは、どうでもいいんだよ。」誰にそう言われても。

何ができるだろうと考え続けたい。

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