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なぜ、「絵本の国」か?

『うさぎ』では、国の名や街の名の多くが、実名でない名前に置き換えられている。 絵本の国は日本、基地帝国はアメリカ、というふうに。 どの名も、文章と文章につけられた参考文献の紹介部分を読むと、どの国を指すのか類推することができる。 私は特に第24話、原子力の時代が著者の公式サイトで公開されたときに、なぜ絵本の国とか基地帝国とか存在しない国名に言い換える必要があるんだろう、と疑問に思った。 あれだけ正当な文献に基づいて精密に組まれた主張なんだから、実名で書けばいいのにと思った。 でも『うさぎ!』を通読して自分なりに納得できた。 この物語は、今の世界を切り取る形で書かれていない。 「むかしむかしあるところに…」と、昔話の典型的な語り出しから始まるこの物語は、ある未来の場所から、昔の世界を振り返る形で描かれている。 その昔の世界は、お金をたくさん持っていることを「豊か」と言う、不思議な世界。 そのお話が語られる、とある未来の世界は、今の世の延長ではないのだろうと思う。 灰色に支配されない世界。 それが「ある」ことを前提に、『うさぎ!』は書かれているのだろう。 ✦ 目次に戻る

なぜ、「うさぎ」?

“ 「それに、銅の山脈では、うさぎは『変化を運んでくる動物』として知られている」トゥラルパンが言います。 ” 第七話、218頁 なぜ『うさぎ!』?主人公も「うさぎ」。 上に挙げた引用に、うさぎは変化を運んでくる、とある。 確かに著者は今の世界に変化を求めている、と思う。 ところで前にも書きましたが、登場人物のうさぎくんは、読んでいると著者の印象と重なる。 ものすごく重なる。 うさぎくんが話者の回を読んでいると、つい、小沢健二さんが話しているみたいに思ってしまう。 『うさぎ!』の「はじめに」にもあったけど、各回は、まるで友人に宛てた私信のようにも読める。 友人と語り合う会話を切り取ったような印象。難しい話題なのに、難しくなく読める易しい口調。 大勢の人、ひとりひとりと直接に話すことはできない。でもきっと、著者はできることならそうしたかったんだと思う。 お話を、実際に口から紡いだ言葉で、渡したかったのだと思う。 ✦ 目次に戻る

灰色という名づけの妙

『うさぎ!』の全編に、「灰色との戦い」という主題が流れている。 「灰色」とは、何か。 この言葉は、一言で言い換えられない、著者独自の発見だと言える。理解してしまえば、「灰色」は言い得て妙、と深くうなづいてしまう言葉なのだが。 「灰色」はよく次のように勘違いされる。 例一、「灰色」は資本主義のことである、ゆえに、著者は反資本主義の主張をしている。 例二、「灰色」はグローバリズムのことである、ゆえに著者は反グローバリズムの主張をしている。 例三、「灰色」は新自由主義のことである、ゆえに著者は反新自由主義の主張をしている。 例四、「灰色」は消費文化のことである、ゆえに著者は反消費文化の主張をしている。 …どれもどこか正しいような気もするんだけど、どれも正しくないと私は思う。 無理に他の言葉で説明しようとするなら、「灰色」は、「仕組み」のことだと私なら答える。 「仕組み」。誰の?どんな? 社会の仕組み。誰かが、誰かたちがつくった、誰か、誰かたちにとって都合のいい枠組み。 その仕組みによって利益を得るのが一定の「誰か、誰かたち」であれば、上記の例のような解釈が正しくなるのだが、『うさぎ!』が指摘するのは、利益を得る「誰か、誰かたち」は変化していくということだ。 それは、悪霊が次から次へと乗り移っていくような様子を思い浮かべると分かりやすい。 利益を受ける人(びと)が変わっても、常に「灰色」は存在し続け、力を持ち続ける。 その仕組みの中で、利益を受けない人びとが「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」とあきらめてしまう空気が作り出される。 そのことについて、著者は警鐘を鳴らしている。「灰色を倒そう」と主張する。 ✦ 目次に戻る

第27話/スチャダラパーの三人が『うさぎ!』をめぐって語る

この回はお話ではなく、著者の古くからの友だちであるスチャダラパーの三人が、『うさぎ!』を読んで心に浮かんだことを文章にするという回。 第17話、対抗、対対抗を用意するブランド戦略 第13話、国歌 第1話、「どうにもならないことは、どうでもいいんだよ。」 それぞれのお題に対して、三人の自由な意見が飛び交う。 ✦ 頭のいい友達でテレビが好きな人がいて、その人がどんなテレビ番組をおもしろいと思うかを見ていると、おもしろい。 ニュース、討論番組、お笑いあたりは普通なのだけど、その中で最近特に気に入っているのは「ほこたて」という番組だそうで。 これは企業や達人(?)が他分野のそれぞれの長所を持ち寄ってどっちが勝つかを競うという番組で、例えば私が覚えているのでは、ユリ・ゲラーさんと史上最高に硬いスプーンをつくる企業が戦っていた。 鷹を操る達人と、最速のラジコン、とか。この前では、最先端の本人認証機器と本人にそっくりな顔面マスクをつくる企業、とか。 日本の企業の意地のぶつけ合い。日本ならではの匠意識。一人の匠が、他の匠に挑み、白黒をつけ、お互いを尊敬し合う。 確かに何か、いい匂いがする。さすがに鼻が利くなあ、と感心して聞いていた。 そんなふうにおもしろいと感じる番組というのはそうそうないらしい。 で、おもしろいと思っている番組ほど、廃れていくものらしい。おもしろい深夜の番組がもう少し早い時間帯(ゴールデンタイムという)に変えられてしまい、骨抜きになっておもしろくなくなる、ということも多いらしい。 最初は「おもしろいものをつくろう!」という意思から始まったものが、外からの力によっていじられて変えられて、へこんでしまう。ありそうなことだ。 ゲームとか、テレビとか、人によって仕掛けられた遊びはどんどん細かくなって、 間がなくなって、つきつめられて、速くなって、息苦しくなっていく、その感じを、スチャダラパーの三人も指摘している。 そして、小さな企業は大きな企業に買われて、同じ会社名で一色になっていく。 どこの服のタグを見ても、同じ会社名が小さく刻印されていたりする。化粧品も。食品も。 それから基地のこと、原発のこと。 「大丈夫、日本人は飼い慣らせる」って思われている気がする。他の国から。灰色から。 こ

Dear readers in English

Hello, dear. This is a blog to write about the experience of reading Kenji Ozawa's story, "Usagi!" (rabbit in Japanese). The story is written in Japanese. This blog is written in Japanese, too. But if you, readers in English could encounter somethings around this story, please tell me about your thinking. I thank a lovely chance to meet you. ✦ Go to the contents