灰色という名づけの妙

『うさぎ!』の全編に、「灰色との戦い」という主題が流れている。

「灰色」とは、何か。

この言葉は、一言で言い換えられない、著者独自の発見だと言える。理解してしまえば、「灰色」は言い得て妙、と深くうなづいてしまう言葉なのだが。

「灰色」はよく次のように勘違いされる。

例一、「灰色」は資本主義のことである、ゆえに、著者は反資本主義の主張をしている。

例二、「灰色」はグローバリズムのことである、ゆえに著者は反グローバリズムの主張をしている。

例三、「灰色」は新自由主義のことである、ゆえに著者は反新自由主義の主張をしている。

例四、「灰色」は消費文化のことである、ゆえに著者は反消費文化の主張をしている。

…どれもどこか正しいような気もするんだけど、どれも正しくないと私は思う。

無理に他の言葉で説明しようとするなら、「灰色」は、「仕組み」のことだと私なら答える。

「仕組み」。誰の?どんな?

社会の仕組み。誰かが、誰かたちがつくった、誰か、誰かたちにとって都合のいい枠組み。

その仕組みによって利益を得るのが一定の「誰か、誰かたち」であれば、上記の例のような解釈が正しくなるのだが、『うさぎ!』が指摘するのは、利益を得る「誰か、誰かたち」は変化していくということだ。

それは、悪霊が次から次へと乗り移っていくような様子を思い浮かべると分かりやすい。


利益を受ける人(びと)が変わっても、常に「灰色」は存在し続け、力を持ち続ける。

その仕組みの中で、利益を受けない人びとが「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」とあきらめてしまう空気が作り出される。

そのことについて、著者は警鐘を鳴らしている。「灰色を倒そう」と主張する。

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